「はじめに意識ありき」


全ては意識したところから始まります。
量子物理学でも意識の焦点があたった物が、波から粒子になります。
この世界は全て意識で出来ていると言っても過言ではありません。

では、まず意識になってみましょう。
意識だけを働かせる。

まず目を閉じて、左右の端に意識を向けてください。
右から始めた方は、先ず右へ
次に左へ。反対に意識を向けて確認をしたと思います。

そして中心に戻ってください。
どうですか?
そこが端であるかどうか議論は無意味です。
意識空間では端に思ったところが端なのです。

自分が思ったところがそれなんです。

次に、目の前に大きな球体をイメージしてください。
大きさは自由です。
好きに創造してみてください。

さて、比較対象物無しで
大きさを説明できますか?
比較対象物の無い意識の世界では、
大きさを表現する方法が無い事に気が付くはずです。

それを2倍の大きさにしてみて下さい。
それはそこで2倍になったとも言えるし
距離が近づいたとも説明できます。

今度は点をイメージし、横に広げてください。
点が線になるはずです。

その点に長さが生まれました。

長いですか?短いですか?
短いならそれに近づいてみて下さい。

次に、あなたは今宇宙にいます。
ゆっくりと前に進んでいます。
横側遠くにに白いボールが浮かんでいるのが見えます。

横側遠くに観える、そのボールはあなたと等身大位の大きさです。
その後、更に前に進んでも、横側遠くに観えるボールは同じ大きさに見えます。大きさが変りません。

その時、あなたは自分とそのボールは同じスピードで、等間隔で同じ方向に、そのボールが付いてきている、またはその周りを回っていると、何れかに判断できると思います。

しかし、その判断が正しいか間違っているかはわかりません。

実はそのボールは遠ざかりながら肥大化しているかもしれません。
遠ざかるスピードと、肥大化するスピードが一定の比率の時は、あなたには同じ大きさに見えてしまうからです。

では、反対の横側に黄色く輝くボールが見えたとします。
進むとそのボールは少し小さく見えます。
更に進むと、そのボールはずいぶんと小さく見える様になりました。

このケースはどう判断されますか?
その黄色いボールはあなたから遠ざかっているのでしょうか?
それとも同じ距離を保ちながら、玉自体が小さくなっているのでしょうか?

もしかしたら、白いボールと同じ様に肥大しながら、更に速いスピードで遠ざかっているのかもしれません。

これが意識の世界です。

時間の経過と共に小さく見えるモノが、実際に小さくなっているかどうかなど解る事はできません。

今度は目の前に左右に二つボールが見えます。

左は大きく見え、右は小さく見えます。
どちらが大きいボールですか?

どちらともいえない。
この感覚になられたなら、
良い状態です。

意識の世界では大きいか小さいか
それは付帯された条件できまります。

この宇宙は常に変化し流れ続けています。
それが速いか?ゆっくりか?知ることは出来ません。

意識の世界には速い遅いもありません。

一本の線を思い浮かべてください。
その線の端から端を観るように意識をしてみて下さい。
では、右の端から・・・左の端へ
ゆっくりと動かしてみてください。

ゆっくりと動かせましたか?

しかし、これが本当にゆっくりだったかは
ここで確定出来ません。

もう一度、更にゆっくりと
同じことを行ってください。
出来ましたか?

ということは、
先ほどのゆっくりは、今のゆっくりに比べて、
速かったという事になり、ゆっくりでは無かったと言う事になります。

わかりますか?

では、更にゆっくり、次は更にゆっくり、そして更にゆっくり・・・
これを繰り返すと、一番初めのゆっくりは、
非常に速かった事になります。

ゆっくりとは、あなたが思い込んだスピードであり
ゆっくりというスピードは実在しないわけです。

それでも自分はゆっくり動かしたと思っているなら
右端を地球、左端を太陽と定義します。
どれだけ速いスピードで動かしたのでしょうか?

距離の概念が入る事で、
またそのゆっくりは変ってしまいます。

早い遅いは我々の意味づけに過ぎず、
2つの距離につける意味づけで、
その速さは変ってしまいます。

地球と太陽の距離は長いのか?
これさえ、銀河系の定義が入ると、途端に短くなります。
故に、長い短いも付帯条件でかわります。

そして、速い短いの時間の概念も固定的なものでは無く、
付帯条件によって決定されるということです。

更に、大小を決めているのは、それそのものでは無く、測る基準(付帯条件)によって決まります。

植物と鉱物の変化のスピードが遅いか早いか?
これも比べているから鉱物は変化が遅いと思っています。

では鉱物だけを見ても、遅いと感じる。
それはあなたの肉体の変化である時間を無意識に比較しているからです。

遅いか速いか、長いか短いか、大きいか小さいかを決めるかには、常にあなたがどんな尺度を使っているかで決まるのです。

わかりますか?
では、物理で腑に落とします

ペンを持ち、紙に線を一本引いてみてください。

その線はゆっくり書きましたか?
早く書きましたか?

では両端に、地球と太陽と書いて下さい。
その途端に、あなたは途轍も無い速さで線を書いたことになります。

次に地球と太陽を消して、その線の幅を1mmと書いてください。
あなたは、非常にゆっくりと書いたことになります。

遅いか速いかはあなたの動きは無関係であり
全ては付帯条件によって決まっているのです。

我々は心や脳=マインドの世界である情報世界に生きています。
そこから物理世界を観察しているとも表現できます。

物理世界の方に早い遅いがあるわけではないのです。
時間さえ空間の大きさを表現する為の物差しに過ぎません。

にも関わらず、我々は物理世界に意識が向き、そこに遅いものという実体があると感じています。あるがままにそこにあり、それを遅いと感じさせているのは、マインドの物差しによるものだけです。

現代の物理世界は科学で証明されたものが正しいと思いがちです。
科学とは実証実験や思考実験などで得られた痕跡からの予測に過ぎません。
故に科学さえ思い込みの物差しの一つとも言えます。
その思い込みが物理世界に反映しているに過ぎません。

見たものしか信じない。
これもあなたの物差しで見えたものに過ぎません。

リアリティとは共通認識に過ぎないのです。
「そうである」といった合意が成立しているものに、共通体験をして、これをリアリティと呼んでいるに過ぎないのです。

この世界に絶対的な存在はありません。
真実とはひとつでは無く、人の数だけ存在します。

思想や哲学さえ同様です。
そういった想念がありえるという創造に過ぎず、その世界観の物差しに過ぎません。

様々な知識や技術を得る事でパラダイムは広がります。
どの物差しを活用するかで、あなたの観えている世界が決まります。
あなたが何処に意識を向けたかで世界が決まるんです。

故に自由自在
あるがままと知り、
そして
あるがままのこの世界をどの様に楽しむか?
探求するも体験するも、全てはあなたの意識の方向性です。

意識の場が、空間を創り出します。
物理空間を次々と開いていきます。
物理学的に言えば座標系とも言えます。

観える物の数だけ
様々な座標系が重なり合い、
一つ一つの物の空間を
あなたという意識がまた観察しています。

興味を持つことが意識を其処に集めます。
集中した意識が現実化し、その空間を開きます。

そんな世界を
存分に楽しんで頂けたらと存じます。

最後までお読みいただきまして
ありがとうございます。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA