素晴らしい人間関係を その17「良心に期待する」
本日もお越し頂きまして、ありがとうございます。
素晴らしい人間関係を シリーズ
<大前提>
他人はどんな手法でも絶対に変えることは出来ません。しかし、自分は変わることが出来る。
自分が変われば、鏡として映っている環境も、
やがて変わっていきます。
<基礎基本の3原則>
1つ 感謝に徹する
2つ 尊重する
3つ 相手の望むことをする
シリーズ その1~3でお話したそれです。
この3原則が基盤にある状態で、
毎度お話をしていきます
今回は
「良心に期待する」
最後までお付き合い頂けると、幸いです。
性善説
人は、生まれながらにして善なる存在
性悪説
人は、生まれながらにして悪なる存在
(この悪とは、道徳的に悪では無く、私利私欲を求める利己的な意味)
どんな人でも、善なる部分は持っています
どんな人でも、悪なる部分も持っています
困っている人がいれば助けてあげたいと思う
先ずは自分が助かりたいとも思います
人は善か悪か?の議論に意味が無いのです
善と悪が混じり合った存在、それが人間です
完全な善にはなれず、完全な悪にも絶対になれません
どちらも合ってこその人間
其れを前提として 日々生きていくのです
故に
何でも理論で、白黒ハッキリと付けようとする人は、良い人間関係を築く事は難しくなります。
「清濁併せ呑む」
ある程度、出来ない自分、
出来ない相手を認め
理解する部分を持たないと
誰とも付き合えません
そもそもどれだけ立派な論理を語る人でも
本人は実際出来ていないのです。
人は論理の生き物では無く、感情の生き物だからです
自分が出来ない事を、人に求めても駄目なんです。
自分も出来ていません。
だからこそ、今日も1mmでも理想に近づけるように努力してます。
相手も同じなのです。
本当は知ってるのです。
こういう風にやった方が良いと
人生とは論理的には難しくはありません。
極めてシンプルなのです
論理的にはシンプルなのだが、出来ない
それは感情があるから。
我々は感情の生き物だからです
完全完璧には絶対になれません。
それを目指す努力が出来るところまでなのです。
それは相手も同じですし、自分自身もそうなのです。
相手も同じように目指しているのです。
相手の少しずつでも完全完璧に成るために努力をしているのです。
にもかかわらず、相手が出来ていない事を、重箱の隅を突く様に指摘している様では、良い人間関係を築く事など出来ません。
「清濁併せ呑む」
とは法律違反を見逃そうとか、言うことではなく
完全完璧ではない相手
完全完璧ではない自分
完全完璧にはなれない相手
完全完璧にはなれない自分
を受け容れた上で、
グレーゾーンが広い状態で人と接していくと言うことです
自分自身が完璧では無い様に、
完璧な相手など、この世に存在しません。
仮に今自分が不幸を感じている時、
自分を完全完璧に幸せにしてくれる相手を求めようとします
相手に完全完璧を求めてしまうのです
相手に期待をするのですが、そんな人はこの世に存在しないので、裏切られたと思うのです。
期待すれば裏切られた想いをする事も当然あります。
それは、裏切った相手が悪いのでは無く、完璧を期待した自分に課題が残っているのです。
欠点を見つけようと思ったら、どんな人でも欠点は存在します。
必ず見つかります。裏切られたと思うのではなく、それは自分自身に問題があるのです。
人を見る時に完全完璧を基準に見て、相手の欠けている所が目に付く様な状態は、視点が間違ってるのです。
その視点に未だ課題が残っている状態です。
完全完璧な人など、この世に存在しないのです。
どんな人も欠点はあるのです。
しかし、良いと事の方が圧倒的に上回っているのです。
どんな人も 良いところの方が沢山持っているのです。
相手の欠点に視点が寄るのは、
相手に問題があるのではなく
自分に課題が残っている事を理解しましょう。
故に
「感謝」
自分自身に対しても、
相手に対しても
欠けている部分ではなく
満たされている部分
ネガティブな部分ではなく
ポジティブな部分
これを見ようと心を向ける
これが最も大切な事なのです
これが感謝です
極論 「感謝」が多い人は
何をやっても上手くいきます。
全ては「感謝」です
自分に感謝
相手に感謝
全て良いところ良いところに視線を向け
常に感謝
この様な人は 何をやっても上手く行き、全て実現します。
良心に期待する
どんな人の中にも、必ず良心があります。
良心という感情は、本当にか細いので、喜怒哀楽の中に隠れがち
しかし、決して無くなることは無く、
人の中に存在し続けている、
最も頼りになる存在です。
実は喜怒哀楽という感情は、全く当てになりません。
人は1日単位で、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんでいます。
さっきまで怒っていたのに、今は笑ってる これが人間です
外の出来事に対して大きく変化するものは 当てに成りません。
常に動かない灯台であれば頼りになるのですが
常に動き続ける喜怒哀楽は、当てに成らないのです
良心は動かないのです。
星と一緒です
昼になくなる訳ではなく、見えなく成っているだけ
夜でも朝でも昼でも 常に其処に存在している
それが良心です。
喜怒哀楽が強いときは、良心が見え辛く成ってるだけ
常に存在し続けているのです。
故に最も頼りになるのです
つまり
人を疑いの眼で見るのではなく、
信頼の眼で見る
「この人の中にも、必ず良心が存在していて、いつか大切なことを思い出し、自ら言動を改善してくれるはずだ!」と言うことです
勿論、人は悪なる部分も持っています
いざ苦しくなれば、先ずは自分が先に助かろうとする部分もあります。もっと、もっとと言う私利私欲に呑まれる事もあります。
だから、
人に対して、いつも信頼で接しているからといって、
残念ながら、いつも信頼で返して貰えるとは限りません
時には、こちら側の信頼に対して、裏切られた様に想いを感じることもあるでしょう。
仮に
裏切られた様な想いをする事があっても、
その様な事は、極めて希です
基本的には、信頼に対しては信頼で応えたいと思います
それが人間です
何故なら、
全ての人の心の底には、必ず良心が存在しているからです
思考は現実化する
疑いの眼で見続けていれば、疑いが現実化する
信頼の眼で見続けていれば、信頼が現実化する
仮に100の信頼の内
1~2の裏切りが合ったとして、
其れをどう解釈するか?
「だから、人を信頼するモノではない」と思うか?
「信頼で接すれば、信頼で返して貰える事の方が、圧倒的に多い」と思うか?
ニュースであれば、
否定的な出来事
悲劇的な災害
凶悪犯罪などを観ることは簡単です
そもそも何故ニュースに成っているのでしょう?
それは珍しいから。
珍しく、更に刺激的だから。
身の回りの日常で、その様な事は実際には起きません
人は、基本的に信頼して良い
完全完璧な人では無かったとしても
基本的に、どんな人でも、法律を守ろうとしているし、
道徳的な人間であろうと努力しています
何より、
絶対に消える事も誤魔化す事も出来ない
良心と共に生きています
故に 人は基本的には信頼して良い
残念ながら
相手の反応を支配・管理することは出来ません
しかし、自分が人を信頼の眼で見続ける努力は出来ます
そして、そういう自分が出来る事をやっていけば、
人間関係は確実に素晴らしいモノに成っていくのです
常に出会う人全てに、
その人の良いところを見つけよう
その人の良い部分を見つけよう
と努力する
すると当然、相手からも同じように見てくれる事が増えていくのです
人間関係は良くなっていくのです。
どんな相手でも、相手の良いところを見つけようとする事で、人間関係は良くなっていくのです。
相手を支配管理する事は決して出来ませんが、自分自身が相手の何処に視点を持っていっているかは、管理できます
そして、人の良心に期待して良いのです
どんな人にも必ず良心が存在していると期待して良いのです
最後までお読み頂きまして
ありがとうございます
ではまた