素晴らしい人間関係を その9「議論をしない」

本日もお越し頂きまして、ありがとうございます。

素晴らしい人間関係を シリーズ

<大前提>

他人はどんな手法でも絶対に変えることは出来ません

しかし、自分は変わることが出来る。

自分が変われば、鏡として映っている環境も、

やがて変わっていきます。

<基礎基本の3原則>

1つ 感謝に徹する

2つ 尊重する

3つ 相手の望むことをする

シリーズ その1~3でお話したそれです。

この3原則が基盤にある状態で、

毎度お話をしていきます

今回は

「議論をしない」

最後までお付き合い頂けると、幸いです。

学校教育の最大の弊害

「唯一、正しい答えが存在する」と錯覚させる

時代と現在の教育が、全く合っていません

経済大国へ向かっていた時代には、合っていたのですが

今の時代には、もうあっていないのです。

答えは、人の数だけ存在し、国、時代等によって、常に変わるもの

にも関わらず、現状は答えが一つである教育

これが 何事にも「正しい答え」が存在していると錯覚させてしまうのです 学校教育の最大の弊害です。

例えば算数

2+2=4です

4だけが唯一正しくて、それ以外は、全て間違っていると教育します

日本の算数の問題は「2+2=?」という問題です

子供達は4を書けば○が貰えて、他は全て×と教え込まれます

この問題が悪いのです これでは思考が育たない

欧米ではこの様な問題は出ません

「4」に成る式を書きなさい という問題になります

4×1 2+2 5-1 3+1 等々

全て正解になります。

答えが一つではない、この当たり前を教育されています。

しかし、日本では「4」しか認めない教育を受けています

例えば社会

江戸時代が始まったは1603年と教育されます。

1602年でも1604年でもない

1603年以外は全て間違っている。と教育されます。

5教科全てが100点満点で、採点が出来るテスト問題が創られ、

唯一の正しい答えを 書き込めるかが、学力の指標になっています。

つまり

学力=記憶力

故に 

社会に出てからも、何処かに唯一正しい答えがあるのでは、と探し続けてしまう。

そして、

自分が何か正しいと信じているモノと、違う価値観・考え方に触れると、無意識に相手は間違っていると決め付け、それを非難したり、批判したりしようとします。

親、先生、友達、先輩、上司、テレビ、本、漫画、映画等々の影響で、これ正しい信じてしまった価値観・考え方に合わないと、間違ってると決め付け、非難批判を始めるのです。

日本に評論家が多く、評論好きを沢山生んだのは、

学校教育 最大の弊害です

自分が行動するのではなくて、行動している人に対して反応して、意見をする、反論する、口を出す人になっている評論家が多いのです

または、議論好き。兎に角、議論に勝つ事を目的にしている人が兎に角多い。

人間関係において 唯一 正しい答えは有りません

答えは、時代によって、国によって、人によって異なりますし変わります。

人の価値観は千差万別

100人いたら100人違う

答えも同じ

人の数だけ答えが有ります

同じ時代同じ環境同じDNAの人など存在しないのです。

一つの答えは無いのです。

一つの答えは存在しないのです。

答えは自分で創っていくしか無いのです。

そして、

「人は 決して、自分の考えを変えたがらない。」

これが人間の本質

自分がどれだけ間違っていたとしても、決して変えたがらないのです

「自分が間違ってたなぁ」自分を変えようと行動する人は

99.9999%居ません。

そうではなく「あの人は分かってない」と思うのです

単に、自分を理解してくれなかった人を、敵だと思うだけです。

言いにくい事を無理して指摘してくれて、ありがたいなぁ

自分は本当に間違っていたんだなと、自分を修正しようと出来る人は0.00001%も居ません。

だから

議論は、時間とエネルギーの無駄

社会に出たら、人間関係に於いて、

「唯一正しいという答え」は、そもそも この世に存在していません

そして、仮に論理力を持って、相手を説得出来たとしても、相手は決して納得はしません。

表面上はわかりましたと言っても、心では腑に落ちてません

自分のことを理解してくれない人だと思われるだけです。

議論はすればする程、ただ敵を増やし続けるだけです

物事が正しい方向へは進んで行きません

大切なことは 議論 ではなく 理解

何故相手はその考え方なのか? 

理解しようとする気持ちそのものが大事なのです

自分の方が正しくて、相手が間違っているから自分の正しさを理解させようでは無く、相手の考え・意見を理解しようと思わない限り、物事は良い方向に進まないのです。

論理的な人で有る程、かっこいいし勇ましく見えます。

意見が違う相手が現れたら、論理でどんどん斬っていく。

あの人は沢山の敵に一人で向かっていく。

強そうだし、勇ましいしかっこいいと思うかも知れませんが、

そう言う人は長期的には結果をだしません。

短期的に格好良かったり勇ましかったり見えますが、長期的に見ると敵が多すぎて上手くいかなくなるのです。物事が実現させ辛くなるのです。

其れよりも、応援してくれる人が居たり、

助けてあげたいなと思われる人の方が、

モノ事を成し遂げ易いのです。

人は理解してくれた人の事を、味方だと思うのです

人は理解してくれない人の事を、敵だと思うのです。

味方が増えれば増える程、物事を前進させていきやすくなります

織田信長や類い希なる才能の持ち主でしたが、敵が多く、志半ばで倒れてしまいます。

豊臣秀吉は人から好かれる人柄で合った為、草履持ちから天下人まで駆け上がれたのです。

議論より理解の方が大事であり、より大きな力になるのです。

自分が正しいと思うことを相手に納得させようとするのでは無く、

相手を理解しようとする気持ちの方が遙かに尊いのです。

では

人から、非難批判をされたらどうしたら良いのでしょう?

基本的には 気にしない さっさと忘れる

絶対に 間違っても 議論をしない事です

議論をする事は 最悪です

相手が間違っていて、自分が正しい事を証明しようとしない

議論をして、相手を屈服させたとしても、相手は絶対に心からは腑に落ちません

議論をして、理論で相手に勝ったとしても、相手は絶対に心からは納得しません。

ただ一人の敵を作り、人間関係を一つ修復不可能に壊しただけです

敵を作るぐらいなら 議論をしない

感情のコントロール力

自分を変えて、高める知識を付けるということです。

非難批判されて、其れをやり返すだけなら、自分を高める知識もスキルも要りません

非難批判されて、気持ちが良い分けないのです。感情的に言い返したくなのです。

しかし、其処で言い返さない、やり返さない、自分の感情のコントロール力を高めていく必要があるのです。

相手から非難批判をされるのは仕方ありません。

相手をコントロールすることは出来ないのですから、

それを辞めさせる事は出来ないのです。

非難批判されると言うことは

未だ、自分が未熟だということです

人は生きている限り未熟なのです。

どれだけまじめに一生懸命にやっていたとしても、

完全完璧には絶対に成らないのです。

故に、揚げ足とられたり、

非難批判されてしまうのは、仕方がないのです。

しかし、其処でやり返さずに、反応的に受け答えせずに、

まだまだ自分は未熟だなと、もっと自分を高めようと思うしかないのです。一端は受け容れます。

しかし、引っ張らない。サッと忘れる。

明日は今日より1mmでも進化成長させよう!っと決めて。

サッと忘れる。

次の日は引っ張らない。サッと忘れる。

非難批判を取り入れる必要は?

基本的にありません!

評論家や議論好きの人の意見が、自己の向上に役立つ事が0%とは言い切れませんが、極めて希です。

非難批判が 自己の向上に役に立つことは 無いです。

本当に成熟した人なら、人を非難したり、批判したりなど絶対にしない。

成熟した人なら、他人を変えることが出来ないことをよく知っており、認めており、相手を非難したり批判したりはしないのです。

非難したり、批判している人は言葉が勇ましいですが、簡単に言うと「未熟」なのです。変えられない相手を変えようとしているのですから、「未熟」なのです。

成熟している人は決して人を非難したり批判したりしません。

非難批判されたと言うことは、自分も未熟ですが、相手も未熟だということです。

未熟の人の意見を取り入れても、自己の向上に繋がる事は 殆どありません。0%ととは言いませんが、その意見は全く役には立ちません。

自分を向上させたいのなら、未熟な人の意見を取り入れるのではなく、成熟した人の意見を取り入れるのです。

成熟した人の意見は 自己の向上の為に 大きく役に立ちます。

ではどうしたら 成熟した人と 未熟な人を見分けるのですか?

簡単に言うと 成熟した人は 

感謝が多い人です。「ありがとう」の言葉が多い人です。

成熟したい人と未熟な人が

本であったり、投稿を読んだりしたとします。

その内容に 誤字脱字であったり、言葉の言い回しが間違っている箇所が合ったとします。

「未熟な人」は 其処を見つけたら、鬼の首を取ったかの様に元気になります。

うわー 見つけたっ!間違ってる! 間違い見つけちゃったよ!って 此処間違ってますよ?其れ違いますよ?って意気揚々と指摘するのです。

こういう人は 「未熟」なのです

「成熟した人」は、同じ本又は投稿を読んだとしても、

この一単語が自分の人生に役立つなとか

この一文に出会えただけでも、この本をこの投稿を読んだ甲斐があったなと、良いところを見つけようとします。

この文章で自分の人生を変えてくれたな。感謝だな。

本当にありがとう

こういう人が 「成熟」した人です

この意見を取り入れた方が良いか?

この意見は取り入れない方が良いか?

迷ったなら

その人が成熟した人か?未熟な人か?を判断基準にすれば良いです。

成熟している人は 兎に角 感謝が多いのです

良いところ 良いところを見つけようとします

こういう人に 助言を貰ったり、アドバイスが貰えたなら

其れを取り入れると、自己の向上に 繋がります

しかし、非難批判をする人は 基本感謝が少ない人です

他人の欠点ばかり探している未熟な人の意見は

取り入れても 自己の向上に 役に立たないです。

非難批判は取り入れる必要はありません

言われた事で自分の未熟さを確認し認めて、

出来るだけ言われない人間になろうと決めて、

一晩寝たら サッと忘れる。

これが一番健康的で健全な在り方です。

やられても やり返さない

相手の答えは 相手の答え

自分の答えは 自分の答え

単純に違う

どちらも間違ってるかもしれないし

どちらも正しいかもしれない

世の中に出たら 社会にでたら

唯一正しい事を 探す事を 止める

相手の非難や批判をみて

「こういう感想や、考えの人もいるのだな。世間には色々な人がいるのだな。」

と 全てを受け容れて、感謝出来るようになれたら、全ての人から 何かしらの学びを得られるように成ります。物の見方がどんどん広がっていきます。

取り入れるかは別の問題です。しかし、視野は広がります。

これ達人の域です。

いずれにしても 議論は しない

議論は、結論を先送りにするか、敵を創るか、お互いが傷つくか等々 兎に角 良い事が 何もありません

素晴らしい人間関係を築いて行きたいのなら、

議論で敵を増やし、屈服させながらではなく

一人ずつでも、応援してくれる人を増やしていける様に

ひたすら自己を高める 自己を高める事に集中していく

そして、相手を理解しようと努める事です。

最後までお読み頂きまして

ありがとうございます

ではまた

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