超越 ~その2~

こんにちは!

本日もお越し頂きまして、ありがとうございます!

さて、昨日は超越とは何か?をお話しました、

今日はどうすれば超越できるのか?

超越の先には何があるのか?をお話したいと思います!

思いのほか、長くなりました・・・3部作に分ければよかったですね。

だーっと書いたので、論点がちょっとぼけてますが、読みきることで感じとって頂けると思います。

昼休みを過ぎてしまいました。急いでアップですw

誤字脱字ご容赦下さい。

では、以下、本編です

超越はどうすれば出来ますか?

先ずは
人間関係を鏡として、自分の心を常に見続けるのです。
実は人間関係が無いと、人は進化出来ないのです。


我々は社会的動物です。

その社会・人間関係の中で、超えていくのが「超越」であり、此れがなければ進化が無いのです。

様々な程度の集まりの中で、その様々な人間関係を鏡とし、自信の心の反応を正しく観察するのです。


自立を目指して、人間関係を避ける方も居ますが、其れでは上手くはいきません。

一回は、そのレベルに身を投じることが必要です。

セルフイメージの低い人間関係は、結果的に必要は無いですが、

人間関係に身を投じていないければ、其れは只の「逃避」であり、超越も進化も起きません。

「逃避」とは反発反抗の反依存状態ですので、「超越」とは逆のベクトルです。

「超越」とは、

一旦はそのレベルに居て、

その周りを鏡として心の反応を確認し、

その程度を圧倒的に超えていく、

此れが「超越」→「進化」なのです。

超越とはその輪にいながらも、内面の心理的、精神的には圧倒的に上に超えて行くということです。

なお、セルフイメージの低い人間との関係ですが、あなたが既にそのレベルに居ないのなら、その存在にも気が付かなくなっています。意識に在り、感情に反応があるのならば、まだ同じレベルに居るということです。


では超えるとは何ですか?

どうすれば良いですか?

人間関係を心の鏡に映し、

自分が反発された、反抗された時に、

言い返したい!
自身の正当性を主張したい!
相手を説き伏せたい!

と反発反抗行動を起こしたいと感情が揺れるのならば、

「超越」チャンス到来です。

この時の自分の心、言動、行動を冷静に観察分析し、この案件に対しては超越出来ていない事実を確認するのです。

反発反抗の感情が、沸き立つという事は、超越出来ていない。
この事実を受け止めるのが第一段階。


批判を受けたら、

批判し返したい
議論したい
言い返したい
自分の正当性を主張したい

それは、相手と貴方は同じレベルに居るという事です

それを受け止めるのです。

自分の反発反抗の心が生まれた対象が、

貴方の鏡に映しである事実を知るのです。

その冷静な確認を積み重ね、

自身は超越を目指している事を再確認します。

何度も
何度も
何度も

どんな事例もです

いつか、全く同じ事例が起こっても、

その事に反応が起きなく成ります。

その者達の思考を「超越」したのです。

寧ろ、実際はその事事態にも気が付かないです。

それが「超越」です。


反発反抗された時に、何も反応しないという事はどういう事ですか?

心にその反応の感情の「種」が無いという事です。

反発反抗の感情が、沸き立つ確認を冷静に行う行動は、その感情の雑草を確認し、抜き取ったという事です。

感情は外からは起きません。内から芽ぶくものです。


怒りも 嫉妬も 喜びも 悲しみも 楽しさや 嬉しさも
外からは与えられないのです。ここ実は重要です。


彼奴の所為で頭にきた!

って愚痴る人良くお見かけしますが、

あなた間違ってます!!

貴方の心にその怒りの種があったんです。

感情とは外からは起きません。

中から芽吹くのです。


感情の種が無ければ、反応は起きないのです。
怒りも 嫉妬も 喜びも 悲しみも 楽しさ 嬉しさも
全て自分の中から湧いて来るのです。外からは与えられる事はありません。

此れを前提に話を戻します。

反発反抗の感情が沸き立つ確認を冷静に行う行動は、その雑草を確認し抜き取ったという事です。

その事例の雑草を抜き続ければ、いつかその種は無くなります。
花が咲く前に見つけて、種を落とさせてはならないのです。

反応反抗の芽を確認して抜く。

此れを継続する事で、必ずいつかは種が無くなります。
種がなくなった時、反応無くなります。

反発反抗を受けたとしても、その種を持っていなければ、何も芽ぶかず、悪い気持ちも怒りも悲しみも生まれない。

冷静に事例を確認できている。其れが「超越」出来ているという事です。

過去であれば反応していた事柄でも、

反応が起こらなかった。

其れは心が磨かれている証拠。
超越出来ているという事です。

超越が出来るようになると

多くのものを、有りのままに観察出来る様になります。

有りのままに観察出来る対象が広がれば広がるほど、

有りのままを理解できる様になります。

結果的に、

有りのままを受け入れる事が、出来る様になっていくのです。

殆どの人は、此れが出来ないのです、

有りのままを受け入れる事が出来ないのです

殆どの人は

物事を

何処か比べるし

何処か分析し

何処か非難するし、

何処か批判するのです

殆どの人は

心の底では自分の方が正しい

心の底では自分の方が優れてる

心の底では自分の方が勝っている

常にその視線で物事を見ていて、

チャンスさえあれば

自分の凄さを皆に見せ付けてやりたい

自分の凄さを証明してやりたい

この様な自我を持っているのです

しかし、常に気づきを持って、

しっかりと自分の心を観察し続ける事で、

この様なエゴが消えていくのです。

これが出来た時、全てを理解し、全てを受け入れられる様になります。

人が何かの言動を取るという事は

必ず 何かしらの原因があります

殆どの人はその原因が分らないで、表面の言動だけに対し、反応してしまうのです。

仮に、相手に入れ替わり、生い立ちや私生活含めた今の状況、そして此れを踏まえた今の言動を全て理解すれば、相手に対して許しがでるのです。

反発反抗して来た相手の状況を理解し、

何故この様の行動をとっているのか?

自分が全く同じ状況であったならば?

自分も同じようになるのではないか?

と理解した時、相手を許そうと思えるようになります

この反発に対して、理解が出来れば、もう感情が生まれることは無くなり、相手に対して反発で返そうと思わなくなります。

有りのままを観察出来るという事は 殆どの人と同じレベルに居ないということになります。

相手が如何に議論や反発、反抗をぶつけて来ても、レベルが違う分けですから、全く当たらなくなります。居る場所が違うから全く当たらないのです。

上の場所から、有りのままを見ることが出来ているのです。

多くのものの有りのままを、観察出来れば出来る程、多くのものを含むことが出来るのです

それを仏教的には「空」といいます

全てを超越し、全てを含んでいる状態の事を言います

この状態に至れば、全生命の、全ての有りのままを観察出来、全ての有りのままを理解することが出来、全ての有りのままを受け入れることが出来ます。

これが「慈悲」の状態で、全てを愛することが出来る究極状態です

キリスト教で言えば「博愛」です

此処に超越することが、「進化」になります。

生まれた時、人間は100%依存です

赤ちゃんは親に依存しないと生きれません

成長したら 僕自立したいです!っと言いますが

親に

学校に

会社に

世間に

政治に

国に

反発反抗するのは自立では無く、反依存です

そうじゃない、

自立とは物理的外的環境を変えようと、反発反抗するのでは無いのです。

ただ、有りのままを観察する力をつける事、

此れが自立です

同じレベルには居ないということです

反発反抗などぶつかる事が出来ない

その段階が本当の自立なのです

究極的な自立とは

依存度は0%

内面的にも外的にも全てを超越している

故に 世界全ての事象とぶつかる事は無く、全てを有りのままに観察し、全て有りのままを理解し、全てありのままを愛することが出来る。

この状態を仏教的に言えば「さとり」

この状態をキリスト教的に言えば「救済」

まぁ、でも実際は こんなん 理論上の話です

究極の理想的には、ここかもしれません

生きてる間は、色々有りますし、人は未熟ですから

100%空になることは無理だし

100%さとることも無理だし

100%自立することなんて無理なんです

しかし、近づこうとする事は出来ます。

生まれてきた赤ちゃん依存100%から

生きてる間に、

何処までその究極状態に近づける事が出来るか?

反発に反発するのではなく、

どれだけ「超越」が出来たか?

これが、究極の状態に、どれだけ近づけたかになります。

自分より子供な相手から反発を受けて、

有りのままを観察し、

有りのままを理解し、

有りのままを受け入れる

事が出来れば、

少なくてもその相手よりは超越している事が出来ています。

その分「進化」出来たのです。

超越する為には、何が必要なんですか?

それは

「自己観察能力」です。

自分の心の変化を、常に冷静に観察を続けることが必要なのです。

人間関係を通じて、何らかの衝動が起きた時、常に自分の心を観察し、反発反抗の芽を摘み続け、種をなくしていく を続けるのです。

此れがあなたを超越し続けさせるのです。進化し続けるのです

超越と言うのは、優越感を持つと、言う事ではありません

超越と言うのは、上から目線になれと、言う事ではありません。

只、

事実として、有りのままを観察出来る様になる事。

自分自身の内面を、有りのままを観察出来る様になる事。

此れが出来るからこそ、

他者に対しても、有りのままが観察出来る様になります。

多くの人が、他者の有りのままを、受け入れる事が出来ないのは、

自分自身の有りのままを、受け入れる事が出来て居ないからです。

自分に対して出来ない事が、他者に対して出来る訳がないのです

自分の思考 感情 言葉遣い 行動 の

有りのままを、観察する力が付けば付くだけ

他者の有りのままを、観察出来る様になります。

その積み重ねが、

常に自分を「超越」していくのです。

過去の自分を「超越」していく事が出来るのです。

他者より優れてる

他者より劣ってる

比較対象を言っているのではないのです

比較対象とは論理のレベルです

脳が情報処理を行う為の分類訳です

これでは、振り子の状態から抜け出すことは出来ません。

右?左?右往左往

愛?憎しみ?憎愛?博愛?

行ったり来たり

本当の愛とは、反対概念など無いのです

全ての有りのままを観察し

全ての有りのままを理解し

全ての有りのままを受け入れる

それが「愛」です。

ここに至った概念には反対概念がないのです。

この究極の状態を目指す為には

「超越」を続ける他ないのです

これが本当の意味での「自立」であり

これが本当の意味での「進化」なのです

「超越」を続けましょう

最後までお読み頂きまして、ありがとうございます!

それでは また

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