「お節介はやめよう」

今日は「お節介はやめよう」についてお話致します

最後までお付き合い頂けると幸いです。

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お節介してませんか?

お節介といっても色々種類がありますね

道で行き先がわからなくて困ってる人がいる
私は迷わず声を掛けちゃいます

また、横断歩道で車が止まらなくて子供が渡れない
私は迷わず車を止めて、自分が渡って見せてしまいます

裏路地でトラブルがある
私は迷わず首を突っ込みます

最後のはお勧めしませんが
ここは
私の魂が勝手に動いてしまうので
正直止めれません

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そういうのではなくて
何かに悩んでいる人を観た時
アドバイスをしてしまう

失恋して苦しんでいる人とか
仕事や人間関係で苦しんでいる人に
相談に乗るなどしている

そんな時に
相手を悩んでいると
相手を、悩みを持っている人と
決め付けて対応しない様にしましょう

適度な距離感を保ちましょう
って話です

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目の前の人が悩んでいる
私たちコーチは
ある意味で相談業でもあります

そんな中
一番気をつけなければならない事は
相手を、悩みを持っている人だと
観ないことなんです
ここを重要視します

何故か?
相手が深刻な問題を抱えている
聞き手がその様な認識を持ってしまうと
相手は益々、
自分は深刻な問題を抱えているんだと捉え始めます

こちらが問題だと思っていると
それに対するアドバイスがお節介で出てきます
なんとかして上げようと
言葉がでてしてしまう

一見、良い事の様に聞こえてしまいます
これ、度が過ぎると問題なんです

その時、相手は心の奥深くでは
「私は何とかされないと、駄目な人間なんだ」
という認識をするんです。

余計なお節介は、その人に
この刻印を押しているのと同義なんです。

伝わりますか?

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人生はどうにでもなりますよ?
人生とは誰でも軽やかに生きれますよ?
これを魅せてあげる。

この想念を相手に内発させてあげる。
これがコーチの役割でもあります

相手は問題を抱えていると認識して
あーだこーだとお節介をする
この行為は
逆の結果を招きかねません

お節介をし過ぎない
相手が問題を抱えていると
見定めない
ここが大切になってきます

これはコーチ業など相談業に関わらず
あらゆる人間関係でもそうです。

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目の前の人が困っている
子供が靴紐が結べなくて困っている

その子には
それは大問題で
靴紐が結べないと泣いていたとします

この子、靴紐が結べない子なのかっと
靴紐を結んであげる

これ、最高にお節介なわけです

結んであげてしまった事で
その子はいつまでも
靴紐が結べないわけです

そして、
自分は靴紐が結べない人間なんだ
っという認識をしてしまうんです。

そこから
自発的に靴紐が結べるようになろうと
至るのであれば、良いのですが

誰かに靴紐を結んで貰わないと出来ない
と外部に依存を求めるようになると

のびたとドラえもんの関係になってしまうんです

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身の回りの人が
何かで悩んでいる

それを何とか自分が解決してあげよう
っと介入する

これが時には
人間関係が歪ませていくんです

大切な事は
相手を信じることなんです

出来るでしょ?
あなたなら?

自発的に成りたい
自分を目指す

そのきっかけの
お手伝いをする

その弊害と成っている
思い込みの認識を変える

そこが本来の導きの姿なんです

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問題を解決してあげる
問題を解決してくれる

相手は問題を持っている
私は問題がある

これが、
自己否定になり
自己肯定感を下げる
自己信頼の欠乏
そこに繋がっているのです

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靴紐を結べない子供がいた際
自分ならどうするか?

目の前で自分の靴紐を結んで見せます

あれ?簡単に結べるんだと

その子にとっての大問題は
実は簡単に出来る事だと認識させる

それでも上手くできなければ
今度は、ゆっくりと結んで見せる
そのプロセスを認識させる

それが自分で出来た時
その子にとって
それはもう問題では無くなってます

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また、
他人の靴紐が気になった時
自分がちゃんと靴紐が縛れるか?

って重要なところでもあるんです

自分がちゃんと靴紐が結べないのに
他人の靴紐を結ぼうとする

ちょっと例えが悪かったかな?
何を言ってるいるか
なんとなく解りますか?

人にとやかく言う前に
自分は出来ますか?

相手が本当になんとかしたいなら
あなたが出来ている場合
その方法を
あなたに聞いてくると思います

その際に
その方法を諭すことは
お節介ではありません

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コミュニケーション論で考えた時
お節介とは、実はこちらの都合なんです

相手は助けれて嬉しいと思うかもしれません
そして、こっちはスーパー先生になるわけです

すごい!
またあの人に相談すれば
なんとかしてくれる!

これ、依存の始まりです

職業に関係なく
人間関係全般で言えることです

あいつに聞けば良い
本人の力が無くなっていくのです

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お腹を空かせた人に
野菜の育て方では無く
野菜を上げてしまっている

魚の釣り方では無く
魚を与えてしまっている

本人が育て方、釣り方を
自らが必要だと至る前に
与えるという行為で
その可能性を奪っている

お腹空いたら
あの人に貰えば
生きていけるやっとなる

その人がいなければ駄目だ
これが他者依存です

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これ
与えている側の勝手なんです
与えている側は気持ちいいんです

人助けした俺すごい
誇らしいし気持ち良い

その感情を得るために

相手の可能性を奪っている
相手の自己肯定感を下げる
遂には自己信頼感を欠乏させる

本人は利他の精神とか思ってるかもしれませんが、
圧倒的に利己的行為なんですね

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極論ですが

物事とはその人に必要だから起きます
そして、
その人が乗り越えられないことは起きません
何とかできる事しか起きません。

その何とかするには
自分で何とかするのみならず
自らが他人に助けを求めるも入ります

程度にも寄りますが
災害復旧に関して
自分達でなんとか出来ない時
人に助けを求めることは重要です

但し、
自らで復旧しようする意思から至ることが
実は大事なんです

ちょっと冷たいように感じるかもしれませんが
自らが立ち上がることが大事なんです

それが
その人の人生の今後に繋がってきます

仮初の他人との信頼関係ではなく
自分との信頼関係を構築できるのです。

自分との信頼関係が気付けている人は
仮初ではない他人との信頼関係を築けます。

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助けのシグナルを出していないにもかかわらず
自分達が人助けをしたい欲望を叶える為に
その他人の状態を観る事が苦しいから
大丈夫?大変だったね?可愛そうだね!っと
徒党を組んで押し寄せる

とってもありがたいことだとは
重々承知の上で、極論を言いますね

その人の
人生のシナリオにとっては
私は大きなお世話だと思ってます。

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私の地域も
昨年台風で過去100年なかった被害をうけました。

農業事業者たちなどで
他者の助けに依存した者達がいました

それが悪いといっている訳では有りません
勘違いしないで下さいね

それをその者が望んで、
望んだ結果なのですから
抽象度高く考えれば
それが体験したかっただけと思います。

正直言って
自らが乗り越えた者と
他者のお節介に依存した者

その後の人間としての
ステージが全然変っています。

乗り越えられなかった者には
必要ならば
もう一度形を変えて
同じチャレンジがやってきます
それを不安に恐れ続けるからです

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助け合いの相互依存は
縁起を繋ぐ一つの形ですし
世界の理の一つである大切な概念です

それは素晴らしいことですし
大切な事だと存じます

そこのエネルギーとは
生み出されていく事が大切で

自身を満たす、
奪う繋がりは
欠乏の世界に繋がります
それが他者依存です。

世界の紛争地域の復興支援や
ODAを担当していたので
肌身をもって体感しています
程度の問題と、距離やバランスがとても大切なんです

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昨今、災害等が多くなっています
故に、軽々しく言えることだとは思ってませんし
本当にどうしょうもない時って人はあります

そんな時に助けになる
その精神は素晴らしいことですし
大変ありがたいことです。

戦争に巻き込まれ
生活さえも絶望し
立ち上がれなくなる事も人はあります

そんな時でさえ
生きる魂の炎は
自らで燃やす他にないんです。

どうしてこんなことに!
そんな時

「そういうものだ」
と受け入れるほかないんです。

その上で
自分はどうしたいのか?
そこを見失わないことが重要なんです

ちょっと、勢い余って
今回の本筋の概念では無いところに
触れてしまいましたが
ここの部分は改めてお伝えしたいと思います

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話しは戻り、整理すると
その人の本質まで
考えないでお節介をする人って

その人に何かしてあげた
その人が俺のお陰で喜んでいる
俺人助けした!俺って凄い
気持ちいいと感じる

これ
その人のことを考えているのではなく
自分の評価を埋めるために
お節介しているのです

あなたのためにやっている行為で
相手の為にはなっていないのです。

こういう意味での
お節介はやめましょうってのが
今回の提案です。

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とある心理カウンセラーのお話だそうです。

そこに相談しに来た
ガンを宣告された方への対応

「ガンを宣告されたんです」
それを目の前で相談された時
お節介してあげようと思って仕舞いがちです
どうにかして元気付けられないかなんて

その有名心理カウンセラーの対応は

「ガンになったと思ったなら
ガーンと思っとけ」

だったそうです。
そして次に続きます

「これを肝に銘じなさい

ガンを治そうとするな
そんなのいいから
今から好きなことしなさい

もう、好きなもの食べろ
医者に止められても
好きなことしろ」と

その内容に
コメントが入ります

「あなたガンになったことあるんですか?
病気に関してはことさら本人は深刻なんです
生死に関わる問題ですよ?
私も宣告を受けた人間です
本当に苦しんでいるんです
もっと真剣に話しに乗って対応されたらどうですか!?」

それに対する
心理カウンセラーの返答

「あんたのその態度
迷惑やねん!!」

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続けて、

「その態度があるから
ガンが広がるんだ
あなたがそうやって
相手を病人扱いするから
その人のガンが拡大するんだ

そーじゃないんだ

だから、あんた
今も苦しんでるんだ!」

かなり乱暴なお話ですが
なんとなく伝わりますか?

言ってる事が
一貫してます

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まぁ、かなり言い過ぎ感
ありありではありますが

信じているわけです
そもそも、ガンは治ると

ガンをガンとフォーカスする
そして自分はガンだと

そのガンはマイナスで
自分はそれに今
侵されている

と認識する事が
よりいっそう
ガンを進行させてしまうと

その信念の元

「ガンなんて気にすんな
好きなことやれっ」

っと言っているわけです

勿論
それを選択するかは
その相談相手です
どうするも自由です

問題だと思っている相手がいて
その問題を肯定して
その問題に介入する事で
自分の効力感を感じようとする行為

反対に
その問題は、問題でもないと
その信念を投影させて
相手も問題の拡大を取り除こうとする行為

どちらがその方の救いになるのでしょう?

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また違う相談です

私は自分が未熟だった頃
何もかもが上手く行かず
娘が成長過程で大切な時期に
娘にあたってしまった時
「あんたなんて生まなければ良かった」
っと口走ってしまった過去があり

娘が青年期に入り
言い争いになった際

娘に
「お母さんに言われたあの一言が、
私は凄い傷ついた
今でも忘れないからね!」
って言われると

何も言えなくなってしまうのです

罪悪感に苛まわます
娘との関係が益々悪くなります
どうしたらいいですか?

その心理カウンセラーの回答

「そう思ったんだから
しょーがないじゃん!」

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「だって、当時の自分は
本当にそう思っちゃたんだから

その感情で
そう言っちゃったんでしょ?

しょーがないじゃん」

っと答えます

「だって本当にそう思ったんだもん。
当時はそんな自分だったんだもの
しゃーないじゃん。

それにあんたが罪悪感を感じれば
感じるほどに、今の状態になるんやで。

そんなん、言った事が問題ではなくて
あんたが罪悪感を
感じていることが問題なんや

罪悪感を今も感じているってことは
その事を肯定してる事になるやで」

そうなんです。

当時はそう思って
本当に言っちゃった

でも、あれは、ないわ
ごめんね
やっちゃったぜ

まぁ
でも今はソー思ってないけどね

罪悪感など感じず
過去の出来事

あなたがそう思い
それが相手に伝われば

この問題は問題ではなくなります

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傷ついた過去は変らなくても
親子関係の新しい幕が開けます
過去が終わり、物語が進みます

あなたが過去に拘るから
相手も過去に縛られる

伝わりますか?

タブーをタブーにし続けないってことです
問題を問題にしないってことです

過去にそんなことあったけど
しょーがないじゃんって認める

そのシガラミの延長に生きようとしない

そんな導きをされたそうです。

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問題を、問題と見ないで
新しい自分や世界へ導くのか?

確かにそれはまずかったですねぇ・・・
娘さんとちゃんと向き合って
そうだ!
あなたのその思いを手紙で伝えたらどうですか?

なんて、罪悪感に共感して
対応策を提示するお節介

どちらが相手の為に
なるのでしょうか?

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なんでも
あなたが同情すれば
相手は、同情されるほど
自分は駄目な状態なんだと
認識して問題を拡大させます

良かれと思って行う行為

その行為が
相手の可能性を奪っている
相手の問題を拡大させている
相手に問題と再認識させてしまっている

そんな
お節介はやめましょう

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大切な人についついやってしまう
お節介

大切な人だからこそ
お節介をしてしまうのかもしれません

その
お節介
時に相手に悪い結果を招く事もある

自分が今描いている、
その感情は
お節介し過ぎなのか?
それとも適度のお節介なのか?

そこに目を向けてみる
すると対人関係をよりよく
軽やかに生きていけますよってお話でした

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あなたの心から目指したい人生を
自在に生きてくださいね。

最後までお読みいただきまして
ありがとうございます。

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