小さな命と共にある日々

小さな命と共にある方への、語りかけです。

least upper boundを取るのを意識して書いてはいますが、理解し難い内容もあり、読める方に届けば良いと思ってます。

自己都合解釈の情動的プッシュバックに苛まされずに、分析する事で、選択頂けたら幸いです。



以下文章

猫も犬も小鳥も植物も、全ての命に個としての名前を与え、心を通わせたら双方の内部表現に意識が芽生えます。

それは、もう種族という低い次元では無く、生命エネルギーとしての交流であり、関わり合い。

生命の関わり合いとは、

双方が双方の為に、利他的に働きかけるということ。

西洋では一言の言葉であらわしますが、その言葉は言語では現させない程の先があり、深さがあり、包括力が半端ないです。故に此処では、言葉にしません。

関わり合いを持った生命。

ここではfriendsと仮称します。

friendsとの関係は、生命エネルギーでの交流であり、対話です。

そして、friendsの様に、純粋で有れば在る程、その生命エネルギーは、強く働きます。

昨年、私は、大切なfriends3匹と、お別れする結果に至りました。

きっと、短い命を満喫してくれた筈と、受け入れられた時、friendsとの交流とは何だったのかを考えてみました。

一緒にいると元気になり、心が優しくなり、とても楽しい。だから、私からも楽しんでもらえるように沢山遊び、沢山撫でてあげた。

「気持ちのやりとり=生命エネルギーのやりとり」

その事に、気が付いてしまった時、

落ち着いて居た情動が、また湧き上がりました。

其れは、悲しみよりも、感謝。

色々な事で、私達が心身共に弱ってた。

強がっても疲れが解消出来なくなってた。

あの子達との時間を削ってしまった。

それでも、純粋なあの子達は、常に私達に気持ちをくれ続けてた。

「気持ち=生命エネルギー」

きっと、この事に気づかず、生き方を変えなければ、我々が重い病気になっていたんだと思います。

弱っていく我々を観て、friendsは一生懸命に気持ちをくれていた。生命エネルギーをくれていた。

弱い子から枯渇してしまいました。

守ってくれたのかもしれません。

なんの見返りも顧みず

friendsとの交流とは

世話をして、撫でたり、一緒に居たり、

気持ちを通わせる行為。

あれって、生命エネルギーを双方で与え合ってる行為なんです。

friendsに、何か不慮の事態が現れた時、

自身の生活やマインドを改善する時なのかもしれません。

friendsは意識をくれた相手に、無償で生命エネルギーを与えてくれます。私達も其れに応えます。

当然、逆も起こります。

friendsとの交流。

それは、純粋な気持ちのやりとり

それが一つの

「    」

なんだと思います。

さて、ご自身たちで色々とコントロール出来ない時もあると存じます。

事が表面化した際では、なかなか届き足りない場合もあります。

大切なfriendsが元気を失っている時や、ご自身がお疲れの際、私自身が、お手伝い出来る事も有るかもしれません。

何か感じられた方は、いつでもメッセージ下さいませ。

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