<嫌われる勇気>① 第1夜「トラウマを否定せよ」

おはようございます!!

本日もお越し頂きまして、ありがとうございます!

「嫌われる勇気」 2013年12月の発売以降、累計180万部を超えた大ベストセラーの本書。

5年が経とうとしている2018年 遂に本書を手に取り、読了致しました。

本書は対話形式になっており、私自身取っつき難いと思っていたのですが、あっという間に引き込まれ、一気に最後まで読んでしまいました。結果、私にとって非常に気付きの多い書となりました。

つきましては、皆さんにも興味を持って頂きたく、更には私自身の理解を深めたい理由から、数回に渡り、私なりにまとめてみたいと思います。

当ブログを参考にして頂き、ご興味が沸きましたら、本書を読んでみて下さいませ。

今日は第1夜「トラウマを否定せよ」です。

どうぞ、最後までお付き合い下さいませ

以下本文

世界は何処までもシンプルである

複雑に感じるなら、自身が世界を複雑にしている

世界がどうあるかでは無く、自身がどうあるかであり、世界を直視するパラダイムシフトを行う勇気があれば、人は変われ、幸福になることが出来る

第1夜「トラウマを否定せよ」

心理学の3大巨頭の一人 

オーストリア出身の精神科医 アルフレット・アドラー

現在アドラー心理学と言われている「個人心理学」

日本において、心理学で有名なのはフロイトとユングですね。

私も高校時代にユング心理学を知り、新卒で社会に出た際にフロイト心理学の書を手に取りました。もう一人巨頭が存在する事は知ってはいたのですが、両名の対極となるアドラー心理学を、当時の私はスコトーマ(心理的盲点)に隠していたのかも知れません。

<原因論と目的論>

フロイトは「現在その人に起きている問題は、過去に過去の出来事原因として起こった」

原因を起因とする<原因論>を説きます。これはトラウマの存在の肯定です。

アドラーは「現在その人に起きている問題は、今の目的が起こしている」

目的を起因とする<目的論>を説きます。これはトラウマの明確な否定です。

心に負った傷<トラウマ>が、現在の不幸を引き起こしていると考えるフロイトの考えに対し、「いかなる経験もそれ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。トラウマに苦しむのでは無く、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのでは無く、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と、アドラーは語ります。

アドラーは「経験それ自体」ではなく、「経験に与える意味」によって自らを決定すると説いています。人生とは誰かに与えられるモノではなく、自らが選択するものであり、どう生きるかを自身で選んでいる。

例として、とある引きこもりの人がいました。彼が仮に引きこもりの原因として、「自分は親から虐待を受けたから、社会に適合できない」と考えているのなら、その経験にそう考えたい「目的」があるのです。

それは彼が「外に出ない」という目的。それに必要な「不安」と「恐怖」を本人が作りだしています。引きこもる事で、親が心配する。結果、親の注目を一心に集める事が出来るといった、最終目的を果たしています。この状態に彼が満足しているとは考えられませんが、この「目的」沿った行動を取っていることに間違いはありません。

この一説は、私の身辺で非常に合点が行きます。

身内に引きこもりが居て、10年以上続いています。当人に関わるたびに、何かしら問題を引き起こすのです。担当医は原因を探る診療を行ったのですが、社会復帰を目指そうと治療を強化する度に、病状は強化され、状態は悪化します。

トラウマ論では不可解な部分が余りに多く、問題がどんどん複雑化していきました。

半ば諦め、関心を持たなくなったら、何故か症状が安定したのです。

これを目的論で考えると、この病状は目的を果たすために必要で、無意識がそれを起こしている事になります。目的が守られたから、症状が安定したのです。

原因論で複雑化した問題が、目的論でとてもシンプルになり、現在の状態を理解する事が出来ました。

更に、目的論はこの様な行動のみならず、情動においても説くことが可能です。

例として、喫茶店でウェイターがコーヒーを零しお客の上着を汚してしまった際に、お客は大声で怒鳴ったとします。

これを原因論で説くと、「コーヒーを零したので、感情的に怒った」となります。

起きた原因に対して、怒りの感情に付き動かされ、怒鳴ってしまった。

これを目的論で説くと、「大声を出すために怒った」となります。

それはミスを犯した相手を屈服させ、自分のいうことをきかせたかった。その手段として、怒りという感情を捏造したと考えます。

目的論では、怒り等のネガティブな感情とは、出し入れ可能な「道具」であり、目的達成の手段に過ぎないと考えるのです。

これは思い当たる節が、有りすぎです。

ネガティブな感情に支配されている時は、実はこの状況が自分にとって都合がよかったりしていたのだなと気付かされました。

感情が優先された時、その感情をどの様な目的で捏造しているのか? 意識に上げることで、見せかけの感情の支配から解放され、また一つ自由を手に入れることが出来ます。

そもそも原因論とは、過去に支配されたかたちを変えた決定論であり、ニヒリズムの入り口です。問題は「何があったか」ではなく、「どう解釈したか?」

目的論とは、過去や感情に支配されない「選択」が可能な解釈であり、「人は変われる」を前提に考えることが出来るのです。

<人は変われる>

憧れの人が居たとします。その人の様に変わりたいと願ったとします。その「目的」を考えます。それは現状に幸せを感じられず、「別人への生まれ変わり」を望んでいるのです。しかし、人は他人に生まれ変わることは出来ません。

「大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたモノをどう使うかである」とアドラーは説きます

他人になりたいと言う憧れは、「何が与えられているか」に執着しているからであり、それでは現実は変わりません。必要なことは交換ではなく、更新なのです。

そもそも別人に生まれ変わりたい程の不幸な状態とは、自らの手で「不幸であること」を選んだからです。それは、不幸な境遇に生まれたからでも、不幸な状況に陥ったからでもなく、「不幸であること」を自身にとっての「善」=「自分のためになる」だと判断したからなのです。

ライフスタイル

世界をどう観ているか?自分をどう見ているか?

意味づけのあり方を集約した概念

世界観や人生観を含んだもの 

人生のあり方

アドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選び取るものだと考えます。故に「不幸であること」や性格までも、自らの選択なのです。

このライフスタイルは10歳前後に選択されたというのが、アドラー心理学の見解です。

選択と言うことは、先天的に与えられたものではなく、再び選び直す事が可能なのです。

しかし、人は変われない

何故か? 

自らに対して「変わらない」決心を下しているからなのです。

その目的は、不満があっても「このままのわたし」でいる方が楽であり、安心なのです。

不満を乗り越える為には変わらないといけません。

その為には「勇気」が必要になるのです。

「幸せになる勇気」です。

ライフスタイルが変えれば、世界との関わり方、行動までもが変わらざる得なくなる。

ライフスタイルを選択しなおせば、「人は変われる」のです。

ここで、勘違いしてはならない事は、私の不幸は全て自分のせいだと自責の念を感じる必要はないのです。

アドラーは「これまでの人生に何が在ったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」と説いています。

自分の人生を決めるのは「いま、ここ」に生きる自分なのです。

驚いたのは、アドラー心理学がコーチング理論と合致していることです。言葉の表現や単語が違うだけで本質的な部分は同じです。

幸せになることを願い、勇気をもって踏みだす。実にシンプルです。

本書は「哲人」と「青年」の対話形式になっており、「青年」になりきって読むことにより、一層理解が深まります。

「答えとは、誰かに教えて貰うものではなく、自らの手で導き出していくもの。他者から与えられた答えは対処療法にすぎず、何の価値もない。」

次回は第2夜「すべての悩みは対人関係」をまとめていきます。

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

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