今日の一言 その249「本当の優しさは論理の道の先」

おはようございます!!

本日もお越し頂きまして、ありがとうございます!

 

一言シリーズですが 

浮かんだ言葉を、ちょこっと書いてみます

 

「正しさよりも優しさ」を実践するためにこそ、まず正しさが必要

理解があってこそ、本当の意味で相手への共感ができる。
もし、相手を思いやることが大切と知りながら、実際は出来ていないとしたら、実は、論理力が足りない。エゴを制御できていない。

だから、人生は生きている限り学びを得る
脳を鍛えるべき時は、トコトン脳を鍛える。
言葉を超えていくためにこそ、沢山の言葉を必要とし、
論理を超えていくためにこそ、沢山の論理を必要とします。

言葉をトコトン学べば、言葉の限界が見えて来ます。
大切なのは、言葉ではないことが分かって来ます。

論理をトコトン追求すれば、論理の限界が見えて来ます。
大切なのは、論理ではないことが分かって来ます。

20世紀最大の哲学者と言われているウィトゲンシュタインは著書の最後の文章
「語り得ぬものは沈黙せねばならない」
誰よりも言葉について詳しく、
誰よりも論理的であった人が、
誰よりも、言葉と論理の限界を知っていたということです。

でも、それは最初から言葉を学ぶ必要がないということでもなければ、論理的である必要はないということでは、勿論ありません。

全く、逆。これも、ウィトゲンシュタインの言葉を借りるならば、
「上に登るためにはハシゴが必要。上に登ったならハシゴは捨てられていい。」

人は、上へ登ることを本能的に目指す生物。
生きている限り、成長しようとし、進化しようとします。無意識に。
そのためには、感情の源となっているエゴを認識し、向き合う必要があります。

「今、自分の思考はエゴに支配・管理されてしまっている」と明確に気付けた瞬間だけ、人はエゴから解放されます。

もし、上に登れたならばハシゴは捨てられてもいい。
しかし、上に登るためにはハシゴは必要。

つまり、慈悲や愛が実践できるようになれたなら論理は捨てられてもいい。
しかし、それまでは論理は必要。

「正しさよりも優しさ」を実践するためにこそ、正しさが必要
本当の優しさは、論理の力により自分自身をコントロールできるようになれた、本当に強き者だけに期待できる人間としての徳なのです

 

 

今日も素晴らしい1日を!

楽しんでまいりましょう!
ではまた♪

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