今日の一言 その120「ありのままを理解し、あるべき姿へ」

こんにちわ!!

本日もお越し頂きまして、ありがとうございます!

 

一言シリーズですが 

浮かんだ言葉を、ちょこっと書いてみます

 

 

自分の外面のありのままが見たいとき どうしますか?

鏡を見ます。

 

鏡には今の貴方が映し出されます。

髪がどうなってるか? → 寝癖が付いてる。→ 直そう → よし!直った

 

では

自分の内面のありのままが見たいとき、どうすればよいのでしょう?

心の鏡になりえるものとは? 感情です

 

物に、人に、事柄に、何かしらの感情が沸き立つ

心の内側にそれに対する 観念があることが分かります。

観念=こだわり

 

自分の心の内側の状態を知りたい場合は

この瞬間に湧き上がって来る感情に耳を澄ませます。
 

そして、その感情を生み出す源が、

自分の内側にあるということを理解する事。
大切なのは、理解です ありのままを理解する。

 

楽しい 怒り 恐怖 不安 悲しい 喜び等々

 

それを 評価・分析・批評するのではなく 理解する

理解とは 認めること、事実を事実として受け容れること

 

評価・分析・批評は 

過去の記憶に照らし合わせてみただけであり、

ありのままではありません。

過去を見ており、そのものが見えていない。

これでは 新しい気づきはありません。

 

それが、正しいかどうかではなく、

正直に素直に 観察して事実は事実として、

ありのままを理解する。ただ そのまま受け入れる。

すると、新しい気づきを得ることが出来ます。

 

鏡の話を思い出してください

髪がどうなってるか? → 寝癖が付いてる。→ 直そう → よし!直った

 

内面のありのままが 本当に見えたのなら 

気付けたとほぼ同時に、その後に 何をした方がいいかも分かるはずです。

 

しかし、外面の鏡とは違い 

内面のありのままを理解する事は難しいのです

 

なぜ?

 

殆どの人は

人は、過去を生きているからです
今、この瞬間を生きていないからです

何を見ても、何を聞いても、何を触っても、
過去の記憶と照合しながら、評価・分析・批評しながら生きている。

だから、何も見てないし、何も聞いていないし、何も触っていない。

過去の記憶を 繰り返しているだけなんです。

自分劇場を放送しているだけなんです。

 

「あー知ってる知ってる。」その知ってるは 過去なんです。今じゃない。

何か一つの答えを言い続ける。その答えに置き換え続ける。

 

目の前のこの瞬間を、見ても聞いても触れてもいないのです。

楽だから・・・過去を生きる方が楽だからです。

 

鏡を見ないのです。自分の姿が本当はどうなのかを みようとしない。

自分劇場の過去で創った 妄想しかみていないのです。

 

本当は、自分は 何も知らず、何も分かっていないと

素直に 認められた時、初めて、何かに新しく気付けるのです。

初めて 前に進みます。

 

理解するとは、過去の記憶に対する解釈を 

全く挟まずに事実は事実として 

ただ、ありのままを受け入れる。

 

「今、この瞬間の自分は、本当は何を感じているのか?」

 

今まで

何も見てなく、何も聞いていなく、何も触っていなかったと

素直に認めれば、

 

今、この瞬間の「ありのまま」が見えてきます。、
そして 「あるべき姿」も自然と見えて来ます。

 

其れは鏡で 外面の髪を見た時と 同じ。

「ありのまま」が見え、直すところがあれば、

「あるべき姿」に 直すのです。

 

「ありのまま」が見え、直すところがあれば、

「あるべき姿」を 目指すのです。

 

それは複雑ではなく シンプル。

 

「あるべき姿」が見えたとは その事に対しての 

今 貴方のしたいことが見えたということです

今 貴方の方向性が決まったと言うことなのです

今 貴方が すべき事がわかったと言うことです。

 

鏡をみて 「ありのまま」を理解しましょう。

 

 

最後までお読み頂き

ありがとうございます!

 

午後も、頑張りましょう!!

 

ではまた♪

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