今日の一言 その75「偏見は人として正しい」

 

おはようございます!!
本日もお越し頂きまして、ありがとうございます!
 
一言シリーズですが 
浮かんだ言葉を、ちょこっと書いてみます
 

 「 

他者と接するとき

まず固定観念から入ります

 

あの人はこういう人だ と言う幻想

「固定観念」

 

そして その固定観念に感情が結びつきます

 

あの人はこういう人だ から好き

あの人はこういう人だ から嫌い

「偏見」

 

そして 偏見に行動が結び尽きます

 

あの人は好きだから 優遇した

あの人は嫌いだから いじめた

「差別」

 

固定観念→偏見→差別

 

好き嫌いは 持って良いのです

行動の原理だから

 

好き嫌いがあるから選択出来るのです

好き嫌いがあるから行動するのです

 

好き嫌いは 当たり前

 

故に 「偏見は持ってよい」

 

しかし! 世間は これを許しません

 

「みんな仲良く」

子供の頃から 教えられます

 

「好き嫌いは駄目ですよ?」

子供の頃から教えられます

 

「偏見とは悪いこと」

と脳に記憶します

 

結果

「偏見は持ってはいけない」

「でも あの人が 嫌い」

脳と心の 葛藤

 

葛藤とは心が揺さぶられます

葛藤とは居心地が悪いのです

 

居心地が悪い原因は?

そう あの人です

差別という 相手への攻撃行動が 起きます

 

「いじめ」です

いじめの方程式の一つ

 

「差別」は 選択してはならない攻撃行動です

 

いじめとは 他に大衆心理の行動原理とか様々な要因もありますので この一点ではありませんが、

これは その中の 重要な方程式の一つ

 

人は 居心地の悪さが 攻撃的な行動を起こさせます

実際に出来ないことを 求められるから居心地が悪くなるのです

頑張れば拾得出来きること と 矛盾していること は違います

 

人の行動原理に 偏見は必要です 

人はそれで 物事を選択し 生きています

 

にもかかわらず 偏見を持つなと 

自分達大人が出来ないことを 子供に教育する

子供達は 自我が形成中の頃は 疑わず従います

 

嫌いな子とも 仲良くしようとする

結果 ストレスを感じる

ある日 その原因を その子と 限定してしまう

いじめが 発生します

 

偏見は 持って良いのです

差別を しないために

 

好きな食べ物

好きな事

好きな物

有って当然です

 

好きな人はいるのです

コインは表裏の2つが有って1つ

嫌いな人もいるのです

 

あの人が  嫌い

でも偏見は もっては いけない

本当は 会いたく無いけど 頑張って会おう

 

お互い 気まずく成るだけです

なぜか?

自分が思っている気持ちは ほぼ間違いなく

相手も思っている気持ち だからです

 

自分が嫌いだと 思う相手は

相手も 貴方が嫌いなのです

 

にもかかわらず お互い頑張って会うと

居心地の悪い時間を 過ごす事になり、

別れた後、お互いに別々のところで

不平不満愚痴批判非難を 言い合うことになります

 

はっきりいいます

「全ての人を認めて・褒めて・受け入れて」などが成立するのは、概念だけです。

博愛とは理想の言葉で、

其れを目指す精神が尊いので有って、

人の心と行動の原理の性質上 

実際は不可能なのです。

 

結論

 

人が 好き・嫌い の偏見 

を持つのは 当たり前

好きな人と 会う

嫌いな人とは 会わない

好きな人と 時間を共有するのは お互い 幸せ

嫌いの人と 会わなければ 摩擦が生じない

 

自分の心に従い、好き・嫌いに素直に従うだけです

シンプルが 一番 平和なのです

 

 

実際は 社会的な所は 大人なので うまくやりましょう

でも 嫌いな人との時間は出来るだけ 避ける

 

また 食わず嫌いもありますので、この限りではありません。

更に、その嫌いが 実は嫌いではなく 「恐怖」 「不安」で有った場合は また違う意味になりますので、

今回は 精神的に嫌いな 場合の話でした。

 

自分の心に素直に生きる

それが 幸せに生きる 

簡単な近道です

 

 

今日も1日頑張りましょう!!
 
ではまた♪

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