超越 ~その1~
こんにちわ!
本日もお越し頂きまして、ありがとうございます。
又しても良いものを書こうと意識しすぎて筆が止まってました。
偶にはその瞬間の言葉を短くなど、気ままにしないといけませんね♪
では、今日は2回に分けます。短くないですねw
お付き合いください。
此処から本編です
本日は超越のお話をさせて頂きます。
進化とは「超越」
超越することが「進化」
例を一つ
子供が反発・反抗しました。
それに対して親は
冷静に、有るがままに観察できて、相手を理解することが出来ている→進化している→超越
親も反発で返す 反抗で返す→進化出来ていない
反抗に反抗で返すという事は、お互いがぶつかるということ。
お互い同じ位置 同じレベルだから、ぶつかる事が出来るのです。
進化出来ていないし、超越出来ていない状態です。
私は自立します宣言
何から?
親から
先輩から
会社から
世間から
何故?
あの考えが気にいらない
あの態度が気にいらない
何々が不満
だから貴方又はあそこから
自立します宣言
僕は自立したから、
うるさいこと言われても、
無視し続けて、
自分の正しさを主張してやって、
せーせーしたです。
これ自立じゃないです。
反発する相手 反抗する相手 が居て成立する自立
それは自立じゃないです
既に、反発の対象を設定している、この時点で依存なんです。
意識行動の原点にそれがある限り、自立ではありません。
反発する対象が在っての独立は、自立ではありません。
依存に対する反発です。
其れを「反依存」と言います。
社会の仕組みを変えて良くしようとか
業界を改革しようとか
あの集りは駄目だから、意味あるもの変えようとか
俺ガ! 俺たちが! やってやるですよ!!
勇ましくカッコイイです
其れに、惹かれる、憧れる!
が、これ「反依存」です
進化でなく、超越でなく、
反発、反抗です。
反発・反抗って見た目
勇ましくカッコイイですが
実は何も根本的には、何も解決しません。
基本的に
何々が駄目だから 俺ガ!俺たちが!良くしてやるです!!
何々が「駄目」だから
「駄目」から入る
これは、立派な「反依存」です
否定から入る行動は 否定される対象が居て始まります。
仮に、否定側否定される側が議論をし、自身の正当性を説き、相手の正当性を説き伏せたとします。この時点でもう上手く行かない事は歴然です
人は人に否定されて 訂正されることなど望んでいません
その場は納得した形を得ても、本心では絶対に納得しません。
基本的に、人は自分の内から意見でしか、納得しないのです。
故に 議論とは 時間の無駄なんです。
このやり方では 一端表面上で改善が見られたとしても、反面の問題が直ぐに表面化し、根本的な解決には至りません。
どれが駄目 これが良い
どっちが悪い どっちが正しい
この無意味極まりない、
良く見かける議論は
反発に反発で返し
反抗に反抗で返す
同じレベルでの議論であり、
何一つ問題を解決できず、
進化には決して繋がりません。
振り子が
右に 左に
行ったり来たり
右往左往の議論や行動を繰り返しているだけで、「超越」には程遠いのです。
ぶつかる事が出来るって事は、同じレベルってことです。
その場から、「超越」も「進化」も 全くしていないと言う事です
依存状態から脱したいから、相手を批判し、相手を避けたり、反発・反抗する人がいますが、断言します!間違ってます。
依存の反対は反依存です。
その対象が事象に原因である依存状態はかわりません。
進化をする という事は 「超越」をしなければならなないのです
超越をしたのであれば
親、会社、世間、業界、集まり 等々が
自分の頭から綺麗さっぱり消えている状態
反対概念を持たない状態
これが本当に「超越」出来たと言うことです
親、会社、世間、業界、集まり 等々から
自立したいと言う意識自体が無くなった時
それを頭から抜け落ちた時
「超越」出来たのです。
超越はレベルで言うと 遥か上に上がっているので
物事を冷静に見ることが出来ます。
起きた事象に対して、
しつけ 指導 指摘 と名の借りた反発・反抗
此れに対して反発に反発 反抗に反抗
これは双方同じ程度であることの証明です。
言った側、反抗した側 同じレベルの程度なのです。
「超越」してこそ 始めて 進化するのです
「超越」とはなんですか?
有りのままを 感情を込めずに 冷静に見て理解が出来ること。
有りのままを、分析せず、批判せず、指摘せず、有りのままで受け入れられる状態
それが「超越」 それが「進化」 それが「愛」です
次回はどうやれば「超越」出来るのか?方法をご説明したいと思います。
以上
最後までお読み頂きまして、ありがとうございます!
それではまた♪