「自由意思で今を生きる(2)」

今日は「自由意思で今を生きる(2)」をお伝えいたします

今回は自動書記で書きますので文字を追うのではなく、感覚でとらえて頂けると幸いです。
なんとなくで良いです

少し、自らの事に寄っていると
感じる方もおられるかもしれませんが、
一番大切なのはあなたなんです。

社会の為や他人の為、
利他の精神が流行ってますが、
それは己と向き合い
己が満たされた時、
本当の意味で与えられるものです。

それは物質的な事柄では無く、
心のあり方です。

不足の想念からの営みは、
決してあなたを満たす事はありません。

満たされぬものが
他を満たすこともありません。

己のあり方を整え、
満たされている事に
気がついた時、

周りさえも
満たす存在になり得ます。

最後までお読みいただけると幸いです。
 
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体験者としての世界
観察者としての世界
 
この小我と大我のパラダイムを行き来する
 
どちらが正しいはなく
どちらに片寄るのも不自然
 
これさえ幻と腑に落ちた時
また一つ階層を昇るのだと感じています
 
しかし、
そこに勇み足で駆け上がる必要もなく
今ここ、この瞬間を堪能する
 
今ここで、刹那に生まれては消えまた生まれる、
ここが始まりでもあり、常に終わりでもある
 
未来、現在、過去さえここで生まれては消える
全ては今ここに沢山ある
 
階層を昇ると感じていた
そのパラダイムさえ、実は幻
全てが今ここだと気が付いていく
 
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意図によって始まる意思が
認知という行動を起こし
全ての宇宙は創造される
 
意図とはゴール
そこから全ては始まった訳ですが
 
それは初めから決まっているものではなく
それは今ここに常にあり、
ここで生まれ常に変化する
 
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小我から見た時
 
他責から「解放」されて
自責から「自由」を手に入れ
漸く始まる「自らの人生」
 
その「自由」は
自らの夢を叶える達成の体験の世界
 
そして、本来の自己信頼を取り戻し
「自由意思の素地」が出来る
 
一つ一つ
気が付いていき
手放していき
取り戻していき
其々を「自由意思」で選択できる
 
但し、その「自由意思」もまた
常に「自らの世界の範囲の自由意思」
 
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心の可動域を広げていく
 
無知の知
知らないことを知っているから完璧
 
唯一無二の絶対完全は無いと知っている
他人達の論理で証明された
 
それは
不完全で不確実だからこそ、
完璧だという事の証明でもある
 
今ここ、この瞬間こそが、常に完璧
今ここ、この瞬間に価値がある
全ては関係性で存在しているが由縁
 
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自分達が
小我という小宇宙の点であると
思っている私たち
 
小我という小宇宙が
集まったのが集合意識
 
此れさえ、ここでは
未だ一つの小我であり
少し大きな小宇宙
 
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何処の意識に意思があるか?
パラダイムを上げて、包括していく
それが「俯瞰」
 
自由という意識の世界に
意思というコントロールが
体験を感じる、今ここ
 
ここは自らが望んだ体験の世界
意図から始まる認知世界
 
全てが情報世界と認識しても
その範囲は自らの範囲
 
様々な情報を諦めることで
この「俯瞰」にいたる。
 
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小我が
こびり付いた執着という思い込みを
諦めていく
 
諦めるとは「諦観」
放棄、断念という表層の場の意味ではなく
つまびらかにしていくと言うこと
飽きるのではなく「明る」
 
光を当て、明らかにしていくこと
これが浄化 

思い込みを手放し続け
「諦観」して「俯瞰」出来た時
全ては己のあり方の写像と腑に落ちる
 
小我の内の在り方が
この世界の全てと気が付き
自己信頼を取り戻していく
 
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その先に至るが
「達観」と「我」は勘違いする
 
「達観」など幻
 
全てが幻と気が付け
それが腑に落ち始めた時
 
外にあると思っていたそれは
外側にあるのではなく
 
内側の内側の中の外側にあると気づく
内に繋がる外に気が付くパラダイムシフト
 
包括される範囲が一気に広がる
 
全体的で一体的な世界観
宇宙の根幹の始まりの意識の場
 
其処に我をもって観れる
観察者としての大我のパラダイム
 
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大我に委ねて観た時
 
世のため、人のため、自分のため
これは、全て同じこと言っている
 
利他と利己
これ自体も、また同じことを言っている
これを分けること自体が
小我たる分離の視点
 
稀に、利他と小我が選択する自己犠牲
これは圧倒的な利己の営み
 
何故なら
宇宙に犠牲を創っている
自らの我欲の為に
犠牲に絡んだ関係性が全て犠牲になる
 
それは
満ちて与える拡大のエネルギーではなく
奪い朽ちる収縮のエネルギー
 
収縮と膨張を
理解しようとする分離の視点
 
但し
これさえ大我からみれば
些細な事象に過ぎず、自然の営み
 
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自らを守ろうとしたとき
その守るべき敵を創りだす
 
加害者とは守る事を止めた時
それはこの世界に存在しない
 
何故なら他人は自分
自体一体
全ては自らが生み出すあり方の事象
 
世界さえ自分
宇宙さえ自身
 
自らが宇宙そのものであることに気が付けた時
自らが観察者であることに腑に落ちる
 
意図が無い世界に、
意図をもって有る世界とし
関係性が存在を生み出す情報世界
その体験が可能な物理世界
 
どちらも臨場感の違いで同義
 
全ては内側の鏡
故に自らが創造者
 
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小我と大我
どちらの視点で事を観るか?
 
どちらが正しいとも間違っているとも無い
どちらが優れている劣っているもの無い
 
片寄りなく
どちらの視点も自在こそが自由意思
 
この世界が創造者による
自分の幻だと知った上で
 
この世界の全てに価値がある
その関係性を解し
双方自在に今を生きる
 
小我と大我さえも
認識に上げるためのパラダイム
故に自在
 
但し、此処に達したと思わせた
「自由意思」も、未だ(仮)
 
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此処に至るが
悟りと称する者がいるが
 
其処に至ったと悟ることは
常に思い上がりの、幻影
 
それは何処までも広がり
何処までも続いていく
 
「遂に辿り着いた!」
っと振り返ると、
そこにはまたそれがある
 
終わりのない永遠のパラドックス
 
全ては無くもあり、全ては有りもする
沢山有るこの世界
 
故に、「自由意思」とは
完全で完璧は永遠にあり得ず
(仮)は何処までも続く
 
それを知りながら
常にその外側を目指す

抽象度を上げ、
自らの認識の外側に意思を向ける
 
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いつかこれ自体に意味がないと
虚無と感じる時が来るやもしれない
但し、それは虚無ではなく虚有縹渺
 
だが、心からやりたいのだから仕方ない
止められるモノはあり得ず、何処にもいない
 
其れこそ正に「自由意思」
但し、それは(仮)だと知っている
 
完璧とは不完全で不確実
故に自由意思(仮)こそ
「本当の自由意思」
 
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問いが其処にあり
生まれ続ける限り
器が生まれる
 
情報が器に流れてくる
情報は認知される
 
縁起が集まった集合体の全ての宇宙
全てが有るともいえるし、無いともいえる
包括された最高位
 
そこに意図という我をもって観た時
必要な縁起がカオスから浮上する認知
 
其処に起こる抽象化されたパターンが
それを「ひらめき」として受け取る
 
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全ては関係性で存在し、
相互作用で広がり続けるこの世界
 
意味とは自らが創った命題でしかなく
全体から見ればほんの小さな思い込み
 
「ありのままに生きる」
そんなフレーズも
また反転も孕んだ諸刃の剣
 
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意識という自由の海から
意思というコントロールが
様々な体験を生み出すこの世界
 
結局は「自由意思で今を生きる」
これが全て
 
この言葉は宇宙より広く、
自らの世界を何処までも拡大させる
 
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小我の認識の外に
問いを求める
 
それに大我たる
自らが答えを
与える
 
先ずは自分の真のゴールを目指す
今は全く見えないそのゴール
 
しかし
真のゴールとは
始まりの意図
 
それは全てのモノに必ずある
 
今ここに、自らが存在している
それが、それを証明している
 
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関係性から存在する、今ここ
それは決して偶発的なものではなく
意図という認知から始まった全ての事象
 
自らが宇宙の中心であり
宇宙そのもの
 
其処から全ては始まった
但し、それは固定されたシナリオでは決してない
 
唯一無二の運命や天命なども
また自らが創った幻の一つ
 
それは絶対と信じるのではなく
選択するもの
 
全ては初めから決まっているものではなく
それは今ここに常にあり、
今ここで生まれ、常に変化する
 
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問いて歩く
其処に意味はない
 
ただ
問いて歩く
それが我の営み
 
いつかそれが
説いて歩くことに繋がっていく
この世界で己の機能を果たす
 
自らの認識の世界に捉われず
自らの内側にある外側
自らを外側から見る内側
 
双方の視点
此れさえ超えた時
更なる叡智が舞い降りる
 
但し、それさえ自らという事
 
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今ここを生きる
何の束縛もなく
あなたは常に自由であり
自在な存在である

それを知りながら
自らの機能を果たしていく

全ては自らの選択
それは、
今ここを体験したいから
今ここを選択している

全てを体験できる小我
全てを観察できる大我

この世界を映し出している
創造主それが自分

意識、無意識
それさえ実は一つのもの

意識に上げることで
コントロールしていると
小我が思い込んでいるだけ

宇宙は常に
あなたという点を中心に巡る
全ては常にあなたの味方

意図という意思の方向性が
全てを動かしている

自らが望む意図に
常に全ては動いている

その方向性を決めているのは
常にあなた

様々な思い込みから解放されて
あなたの意図に向かう
思い込みを選択する
それさえ自在

自らの自由意思で選択して
本当に目指したい
本当の人生を生きる
それさえ自在ということ

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是非、あなたの心から目指したい人生を
自在に生きてくださいね。

最後までお読みいただきましてありがとうございます。

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