「正論を言わない」


今日は「正論を言わない」についてお話致します。

最後までお付き合い頂けると幸いです。

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正論は時に、人を傷つけます。

正義という価値観を、
相手に伝えてしまう。

それが善意であっても
相手を裁いてしまいます。

結果、相手は窮屈な思いをします。
相手は傷つきます。

人間関係が良好でなくなります。

これ、良かれと思った行為の様に観えますが、

自分の正義で、
否定しているあなたの想念で
外部を訂正しようとしている
身勝手な行為なんです。

あなたの思い込みの
正当化なんです。

こうあるべきとの
あなたの価値観です

あなたの価値観に沿って
相手の言動はおかしい

あなたの価値観に沿っていない
相手の言動は間違っている

だから、訂正した方が良いと
外部をコントロールしようとする

このジャッジをやめてみませんか?

間違ってても良くない?
って思ってみませんか?

他人の全てを肯定する
そんな想念になると
人生が軽やかになりますよ?
って提案です。

遅刻した人に怒る!
いいじゃないですか?
遅刻しても

ルールを侵した人に怒る!
いいじゃないですか?
ルール違反しても

成功法則から逸れている
いいじゃないですか?
その人の好きにさせたら

許しておけよって話しなんです。

みんな自由に
また不自由に
好きに生きてるんです。

そこを何故?
あなたがアドバイスするのですか?

そこを何故?
あなたが裁くのですか?

そこを何故?
あなたが訂正しようとするのですか?

あなたのその間違い探し
やめてみませんか?

先ず、人は其々自分の生き方を選んでいます。
全ての人が、自らが選択をしながら生きています。

そんな事言っても恵まれない人が!!
恵まれない選択をしてるんです。

そんな事言っても不幸な人が!!
不幸な選択をしてるんです。

環境は選べないじゃないか!?
先天性は選べないじゃないか!?
っと言われてしまうでしょうが

それさえ、自らが選択したとも言えるんです。
ここは壮大な話になってしまうので
今回はここまで広げませんが、

一言だけお伝えするのは
それが不幸だと、可愛そうだと
または辛そうだと、いけない事だと
決めたのは、あなたです。

わかりますか?
あなたのジャッジです。
あなたの正論なんです。

さて、先ず今回は
あなたの正論癖を治す話です。

何が言いたいかと言うと
皆さん、皆さんなりに
ご自身で今の状態を選んでいます。

そこをあなたの正論で裁く行為は
その人にとって、
正直に言って不快でしかありません。

いやいや、
「それを言ってもらって良かったと
気づく時が来ますよ!その人の為なんだ!
私もそうでした!今は感謝してます。」
なんて親心

それは、
そうして欲しいと望んだ人に
してあげて下さい。

それを望んでない方に、
あなたがそれをする必要はないんですよ?

その親心的、正論行為は
反発を生むだけなんです。

あなたにとっては間違っていても
その方は、今を楽しく生きてるんです。
いいじゃないですか?

不幸そうに生きてる?
いいじゃないですか?

不幸を楽しみたいのですよ?
その人にとっては不幸じゃないかもしれません。
邪魔しないで挙げて下さい。

あの人は勉強不足だ!
いいじゃないですか?
そのステージを楽しんでいるのです。

はっきり言って、
余計なお世話なんですよ?

あるサイトにあったお話です。

「僕は日本人にお父さんを殺された」って題名です。

ご存知の方もおられるかもしれません
ご紹介します。

僕はお父さんと一緒に
毎日山に入り、動物や魚を捕まえ、
木の実や果物をとって生活してました。

お父さんは自然の事を沢山話してくれました

大好きなお父さんと
毎日一緒に自然と共に過ごしていました。

ある日、日本人が来て、
畑の作り方を教えてあげると言ってきました。
家の周りで野菜や穀物を作れば、楽になりますよって

お父さんは畑を作り始めて、
野菜が採れるようになりました。
お父さんと山に一緒に行く事が少なくなりました。

ある日、その日本人が、沢山作ってそれを売れば、
もっとお金が得られますよ?と言ってきました。

お父さんは畑を広げて、野菜を沢山作りました。
それを市場に売りに行くようになりました。
お父さんは、山に行く時間がなくなりました。

ある日、その日本人が、そのお金で人を雇って
もっと面積を増やせば、豊かな生活が出来ますよ?
と言ってきました。

お父さんはもっと面積を増やして、沢山の人を雇いました。
得たお金で、次は日本人が言うとおり、機械を沢山買いました。

お父さんはお金のやりくりで忙しくなりました。
お父さんはお金の話しかしなくなり
お父さんは他人とばかり話をする様になりました。

お父さんは僕と話をする時間がなくなりました。

電気が来て、家が立派になり、色々な物が増えたけど

自然の世界に連れて行ってくれて、
自然のことを毎日話してくれた、
毎日一緒に居てくれた
あの時のお父さんは、
もう僕の目の前にはいない。

お父さんを返して下さい。

こんな話だったと思います。
ちょっと極端な話で、
依存とコンフォートゾーンの違いや
家族としてのゴール設定の観方で
如何様にも出来たんじゃないかな
とかありますが、

何が言いたいかと言うと、
その価値観が、正しいとは限らないのです。

人間関係を良好にしたいのなら
正論は敢えて言わない事をお勧めします。

「人は快楽を求め、苦痛を避ける」
精神分析学者であるフロイトが取り入れた快楽原則です

その人にとって
あなたの正論は、苦痛でしかないんです。

仮に、これ間違ってるのかな?とか
って意見を求められたのなら
ご自身の気付きをお伝えすれば良いだけです。

夢や目標、ゴールに気付きが必要だと言うなら
照らして差し上げれば良いのです。

それ以外は、大きなお世話です。

本人が求めていない
他人の正論とは、

その人にとって不快でしかありません。
その人にとって窮屈でしかありません。

あなたの大切な人
あなたが良好な人間関係を構築したい人

その方を不快で
窮屈な思いをさせたくないのなら、

正論では無く、
相手がする事は
全てを肯定してあげる。

あなたの正しさで他人を
コントロールする事をやめる。

あなたの正しさを捨てる。
あなたの常識を捨てて、全てを肯定する。

これ、争いがなくなる事に繋がっていきます。

あなたの中に、敵がいなくなります。
それは、外部に敵がいなくなると同義です。

他人の間違い探しをする人生の終焉です。
人生が軽やかになりますよ?

そもそも
正論では、人を動かす事は出来ないのです。

正しい事を言って、正しいことをやる
そんな想念が世の中の常識的正論です。

ではそれで、
世界から争いが無くなりましたか?

それが出来ない人がいるから
世の中争いが絶えないんだ?

違います。

正論があるから、
争いが絶えないのです。

先ず、この世界に
正解も不正解も存在しません。

それは全てあなたの色眼鏡に過ぎません。
ご自身がその様に
「思い込んでいる」からに過ぎないのです。

物事に意味はありません。
全ては中立であり、ありのままです。

その物事を解釈することで
意味が生まれます。

あなたのあり方
解釈によって、意味が変ります。

その解釈とは
人それぞれなんです。

仮に、森を見て

気持ち良いなぁと思う人
ワクワクするなぁと思う人
薄暗いなぁと思う人
気味が悪いなぁと思い人
其々なんです。

仮に
正論があるなら

その其々が、
その人の正論なんです。

正論は人の数だけ
存在するんです、

それを他人に押し付けないことです。

全ては中立であって
ありのままである事を知っていれば

あなたと違う
解釈をしている人がいても、

この人はこう思うんだな
って感じるだけで、

コントロールをしようと
思わないはずなんです。

いやいや、気持ちいいだろ?
気味が悪いなんて間違ってるよ!!

なんて、言い出すと
争いが生まれるんです。

自分が正義だと思い込み
正論を言っている。

そんな視野が狭い状態にある
と知ってください。

全てを肯定する。
そういう観方もあるね。

私にはこう観えるけどね。
は胸のうちで
押し付けない。

自分がこう観えている事さえも
正しくも間違ってもいない。

今、それを採用しているに過ぎないって事です。

全てをニュートラルに捉える。
様々な、観方を肯定する。

これが出来る様になると
心の稼動域が広がっていきます。

善悪とは一辺倒な解釈に過ぎません。
この世に正義も悪も存在しない。

故に、正論をかざす必要がない。
という事です。

良好な人間関係を築きたいのであれば、

相手を苦しませる事とを
発言するのでは無く、

相手を喜ばせる事に
フォーカスしていく。

「正義」というものに価値観を置くのでは無く
「感謝」に価値を置く

自分の口から出る言葉を
「正義」によるものでは無く
「愛」によるものに変えていく

正論を言わない
そもそもの処、正論なんて無い。

この気付きが
あなたの人生が軽やかにさせますよ
ってお話でした。

是非、あなたの心から目指したい人生を
自在に生きてくださいね。

最後までお読みいただきまして
ありがとうございます。

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