今日の一言 その253「既知に固執せず、未知を受け入れる」

おはようございます!!

本日もお越し頂きまして、ありがとうございます!

 

一言シリーズですが 

浮かんだ言葉を、ちょこっと書いてみます

 

人は、意識的であれ、無意識的であれ、みんなが不安や恐怖を抱えています。
だから、安心・安定を求めながら生きています。
安心・安定を求めると、それが実現化します。
そこに退屈を覚え、常に刺激を必要とし、また退屈に耐えようとします。

苦痛と快楽を行ったり来たりする。

根本の原因は、未知への恐怖
故に、古きものを大切にし、新しいものに脅威を覚えます。

たとえ、良くならなかったとしても、古いものの継続であれば、結果がある程度予想できるから。新しいものは体験したことがないので、結果が予想できない。

人は、根本的に変化を好みません。
心のあり方としては、極めて、保守的です。
本心は安心・安定が願望であり、現状維持を望みます。
ただ、感情というのを一旦、脇に置けたら真理は見えて来ます。
 

新しきものは、常により良い
どの時間を取っても、過去よりも未来の方がいい。
それが真理です。ここ日本で見たとしても、
 

もし、過去の方が良く想えるなら、それは記憶が美化されているからだけ。
ネガティブな部分は忘れて、ポジティブなところだけを覚えている。
人の記憶ほど充てにならないものはありません。

パソコンやスマートフォンの保存であれば、一字一句違わずに正確に再生されます。

しかし、人間の記憶は記憶と記憶の再合成です。しかも、今の自分の知識と経験で想い出します。だから、「今どきの若いものは」となるのです。

実際は、今どき若い人たちの方が、はるかに優秀。
それは、進化した時代と環境に対応しながら生きているから。
新しきものは、常により良い

新しきものも完全・完璧ではありません。
何かを改善できたと思えば、また、何か新しい課題も同時に創り出すでしょう。
課題があり続けるからこそ、人の進化も、宇宙の進化も無限。
宇宙がある限り、課題が完全になくなる日はありません。

それでも、未来はいつも明るいのです。

しかし、人は不安と恐怖が超えられません。
やはり、結果が予想できる古きものの継続での何とか現状維持を図ろうとします。

その最大が、既知のもので未知を知ろうとする心の動きです。
知識が沢山あれば、未来のことが分かるのではないかという幻想を手放せません。

気が付けば、知識が重荷になり、伝統と記憶で心が押しつぶされ、身動きが取れなくなってしまう。

既知をどれだけ蓄えても未知は何一つ分かりません。
既知が知れるのは既知だけ。未知は知れないからこそ未知。
未来は決して保証のないものです。

知識は、未来を知るためではなく、直観に対しての解釈の精度を上げるために学ぶもの。既知から未知に近付くことはできません。未知の方からやって来ます。

既知にしがみ付けば、安心・安定とともに時間だけが流れ続けます。表面上は現状維持できているように見えても、実際は、ゆるやかに衰退しています。

なので、不安や恐怖という幻想を見破り、ただ過去を過去に流し、手放すべきものは潔く手放して、未知へ一歩踏み出せるかどうか。

過去で両手が塞がっていれば未来の機会は掴めません。
未来の機会が掴めるのは、いつも、何も握りしめていない手だけ。
だから、人生で最も大切なことは、忍耐

結果が予想できる古いものではなく、結果が予想できない新しきものが来るまで、じっと待つことができるか。未知が来るまでの期間、安心安定を守ろうとする不安と恐怖という幻想に屈しない精神的な強さが要求されます。

既知と未知
未知を知ることはできません。
なぜなら、未来は無限の情報と無限の可能性からやって来るものだから、です。だからこそ、70年前の人がただの1人、ただの1秒も予想できない社会がやって来たのです。

不安と恐怖は、既知のもので未知のものを知ろうとした時だけやって来るもの。それは実体がない幻想です。真理は、未来はいつも明るい

人生というのは短期で見れば悲観的に想える時もありますが、長期で見れば、かなり楽観的なものです。この数千年、時代は常に良くなり続けています。大切なことは、既知に固執せず、潔く手放し、未知を未知として受け入れる度胸です。

心の進化が本物なら、その心に見合った未知がやって来ます

 

 

今日も素晴らしい1日を!

楽しんでまいりましょう!
ではまた♪

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