意識が宇宙の源
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意識とはなにか?
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意識とは、物理宇宙に於ける量子力学での素粒子と同義であり、右世界では紐であり波
物理宇宙で真空と定義された意識宇宙での無意識から、認知で生まれ出る意識 。
意識宇宙における意識・無意識 全てがエネルギー
認知に必要なのは情報
情報という認知が意識エネルギーに存在を与える。
その集約が場を創る。これが情報宇宙のパラダイム
これを計算言語学や現代言語学、分析哲学、現代脳科学、西洋哲学、東洋哲学、認知科学などなど様々な定義ができるが、何で称したところで、この区分けは説明の定義であり、パラダイムの違いであり同義。パラダイムとは次元の違いであり、抽象度とも称す。
そして、意識は常に何かしらの形を望む
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自己とは創造者
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創造者とは作家とも言える
作家はシナリオを書く
そのシナリオを意識宇宙にオーダーする
形を望む意識はそれに共鳴する
意識宇宙に作品のフィールドが出来
その中の創造的無意識が監督となり
そのシナリオに則り作品を創る
作品の中には主人公が生まれる
主人公とは自我
自我とは自己が投影された一つの姿であり
このフィールドの主人公
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自己はそれを傍観する側
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自己はそれを観る側であり楽しむ存在
故に全てに善悪なく全ての事象を楽しむ
自己にとってシナリオは自在
如何様にも書き換えが可能
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監督である創造的無意識
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監督はそのシナリオに沿って作品を創る
シナリオの解釈は監督による
創造的無意識は主観や客観を持たない
また、シナリオはフィールドに於ける、縁起の相互作用で展開するため、自己は作品の結果を読めぬ。そのフィールドは一宇宙として、共有宇宙に展開するからである。
様々な自己の一人一宇宙が、分離で展開する共有宇宙
その抽象度の末端が物理世界。
故に、物語は展開の中で変り行く諸行無常
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自身が自我である誤認
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但し、あくまでも創造者は自己である。
一宇宙に於ける全ては、自己によるシナリオ創造による無意識の写像
時に、作品を観る側である自己が、主人公である自我に入れ込み
自身が自我であると誤認する。
それは作品を通じて、感じ・経験し・楽しみたいからである
作品が故に、作品を選ぶも書き直すも自在
それは自我では無く、自己に立った時である
自己は沢山のシナリオを創り、その可能世界一つ一つが様々な一宇宙
自己は創造も選択も自在
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自我から観た世界
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今映し出されているのは現状のシナリオ
現状の中で如何に努力しようとも、それさえ現状のシナリオであり、一作品の展開に過ぎない。その作品の枠から出る事は出来ない。
それを愉しみつくしたいなら、観続ければ良い
本来の目的を味わい切るまでは、飽きることが無く繰り返される。
作品を感じ、楽しむ。飽きるまで。
その展開に飽きた時、作品を替えればよい。
作品を変更する時、現状の主人公は終焉する。
新しいシナリオとは現状の外側のゴール設定
新しい主人公とは現状の外側の自我
作品が変る事で、一宇宙は変る。
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自己に戻る
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自我になりきった自己を、自我を傍観する自己に戻す。
それは外では無く、内にある
これには現状ゲームを終わらせる。飽きている事を認知に上げる。
そして、願望ゲームを繰り返し、全ては望むままに展開する事を体感する。
そこで漸く自我が自在と気が付く。自我を創造し選択した、自己の存在を知る。自我から自己を離し、自己として自我を観れる様になった時、自己に戻る。
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統合宇宙へ
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その過程で分離は統合を繰り返し
善悪、ポジティブもネガティブも無く、want-toもhave-toも存在しない
陰陽統合が成された無極世界。統合宇宙へ戻り始める
この宇宙には全てありもするし、全て無くもある。
そして沢山あると体感し、全ては自在と腑に落ちる。
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全ては関係性から存在している。
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自我による一宇宙では当然だが、自己さえもまた同様に、様々な自己などとの関係性から存在している意識の集合に過ぎない
そして、分離されている自己は次元を上げる事で、元々は一つ
統合されることで抽象度は上がっていき、一つに還る
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全ては今ここ
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それは別世界にあるのではなく、そこから降りる事ではない
全ては今ここである。
それは次元の違いであり、観方の違い
抽象度の違いであり、存在は階層度の違い
外に有るのではなく、内にある
今ここのパラダイムの違い
時間さえ全てここにある
過去→現在→未来は、物理世界のパラダイム
未来→現在→過去は、情報世界のパラダイム
過去、現在、未来さえ流れ過ぎ来るものでは無く
今ここに全て生まれ、全て消える。
連続性では無く、刹那瞬。
常成るその瞬間の全てが今であり、存在の定義。
全ては今ここにある
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この瞬間が最高の存在でベスト
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故に、現状と称する今を楽しむが本来のあり方
常に、この瞬間が最高の存在でベスト。
但し、その現状とは自在 それを現状の外側と称するも自在
全て自己が望んだシナリオの世界
そのシナリオさえ自在
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自他一体
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自己とは関係性から生まれた存在
そして抽象度を上げ続ければ一つの存在
故に自他一体
統合の存在である私は、何故分離世界を創ったか?
そもそも統合の存在とは何か?
それさえ意識エネルギーから生まれたのだとすれば
その情報、意図とは何処からきたのか?
問いは続く
しかし、それさえもありもするし、無くもある。
そして、この話さえも同様、ありもするし、無くもある。
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人生は自由自在
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我々に出来る事は、この認知している物理世界を堪能する。
この物理世界で様々な事を感じ、体験する。
自我を観る自己に気がつき、自己に戻り、全ての関係性に意味を知る。
全ては関係性で存在し、全ての存在自体の価値に意義がある。
価値有る存在である私は、常に価値を生み続ける。
他も含め存在自体が価値を生む。
自己とは宇宙の創造主であり、シナリオは全て自由自在
そして、自己の意図とは?統合された存在の意図とは?
これが真のゴールなのであれば、それに見合った的となり、
それに委ねる生き方こそが、本来の生き方なのかもしれない。
それさえも自在 そして、ありもするし、無くもある
全ては幻想のシナリオと理解した上で、全てに価値有るこの仮の世界を楽しむ 。
人生は自由自在なのだから。