言葉とは道具 その2

おはようございます!

本日もお越し頂きまして ありがとうございます

 

昨日のお昼に投稿しました

 

「言葉とは道具 その1」

 

の続きになります

ご覧頂けて無いのであれば、其方からお読み下さい

最後まで お付き合い頂けると幸いです。

 

それでは 本編です

 

言葉とは その対象「そのもの」に ラベル名前を付けることです

言葉とは その対象「そのもの」を 理解したことではありません。

言葉とは その対象「そのもの」を 認知する為にある道具

その対象「そのもの」を 認知した時 その対象「そのもの」の 探求が始まるのです。

その対象「そのもの」の 理解が深まるのです

 

 

そして、その言葉で認知し、その対象「そのもの」の本質を探究し、

その言葉を 吸収して 統合することが 出来たら

言葉は 捨てて良いのです

 

言葉は 道具です

吸収して 統合して 自分のモノにします

そして、役目を果たしたら 捨てて良いのです

 

大切なのは、犬という言葉ではなく、犬「そのもの」だから。
大切なのは、感謝という言葉ではなく、感謝「そのもの」だから。

 

目の前の 課題を クリアする為に、色々と学び、

自分自身に 吸収し 統合して いくのですが、

その役割を 果たした時、

言葉は 捨てて 良いのです。

 

一つのモノに 執着しては 

新しいモノは 手に入りません

 

人類は

言葉を統合するためにこそ、

言葉「そのもの」について学んでいます。
それが、過去20世紀の哲学者たちが

大成してくれた「分析哲学」。

人は、言葉「そのもの」を理解したわけです。

言葉は、どこまでを可能とし、どこを限界とするのか、を。
そして、研究対象としての哲学は 役割を 終えました。

では 今の 現代の哲学 とはなんですか?

様々な流れはありますが、

「自己理解」 「自己認識」

 

自分とは 何か

自分とは どんな存在なのか?

私「そのもの」の探求 が 哲学

 

その為に 必要な 一つの道具が 言葉

 

人生「そのもの」を通じて、私「そのもの」を知る

その為に 必要な 一つの 道具が 言葉

その為に 必要な 一つの 考え方が 哲学

 

自分「そのもの」を 

本当に 探求できた 理解できたならば

「言葉」と「哲学」は 捨てられても 良いのです

 

大切なのは 「言葉」でも「哲学」でも ないから

 

自分という存在が 

どんな存在なのかを 

探求し理解するために 

創られた 一つの 道具だから。

 

私たちは 

人生「そのもの」を通じて 

自分「そのもの」を理解しようとしている

自己を 認識しようとしている

 

だから 無限に成長していくのです

なぜなら 自分に限りはないから

どこまでも 探求の要素があるのです

どこまでも どこまでも 深く 探求できるのです

 

生きている瞬間 瞬間を通じて

人生「そのもの」を 通じて 

自分「そのもの」を理解しよう 

これが人生の探求旅 

人生「そのもの」なのです

 

故に無限 

何処までも 何処までも続く 広い世界

それが 人類の進化成長 

それが 人類の可能性 

なのです

 

「犬」という言葉を知った時 

「犬」は分かりました、「犬」は知ってます

と思考した瞬間

その対象「そのもの」を理解していないに

学びは終わってしまいます。

 

そうではない

そうではないのです

 

言葉を知った 存在を認知した所から 

本当の探求が始まるのです

 

探求の旅に 乗り出したのであれば

人は 何処までも 深い存在になれるし、

何処までも 遠くに行けるのです

 

 

言葉とは 対象「そのもの」では 無く

只の 道具 です。

言葉を認知し、その対象「そのもの」を 探求しましょう

 

以上で終了です

二回に渡り 最後までお読み頂きまして 

ありがとうございます

それでは また

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