あなたの幸せが世界を変える
おはようございます。岡崎です。
先日はとても夕日が綺麗でした
田んぼに水が入りました
この時期は田植えも始まったばかりで、稲が育ってません。故に一面が鏡面になるんですね♪
空がそのまま水面に映り、とても不思議な世界にいる感覚になります。昼夜幻想的でとても綺麗
そして、夜はかえるの大合唱が始まりました。
常にフルコーラスです♪
楽しそうな鳴き声がとってもにぎやかです。
日中は山の中でお弁当を頂きます
木つつきの音がしたり、ウグイスの声が聞こえたり、風が木々を吹きぬけ、きらきらと差し込むこぼれ日がなんとも気持ちよいです。そのまま寝転がり、本を読み、そのままお昼寝・・・・最高の時間です
さて、この社会の状態はまだまだ続くのでしょうか?
中々、直ぐという状況ではなさそうですね。
共存していくまでには、まだまだ時間が掛かりそうです。
元に戻ることを願うことも勿論選択ではありますが、ご自身が変化していく事もまた一つの選択です。
状況のありのままをよく観察する。
それは外部の事でも、ご自身の内部の事もです。
物事を一辺倒に捉われてしまう。
このパラダイムでは選択肢が少なくなります。
選択肢は無限にあります。
一歩下がった観方が大切です。
最近この言葉をしつこい様にお話しますが、大切なのはあなたのあり方です。
それは過去で積み上げたあなたでは無く、今のあなたのあり方です。今までこう生きてきたから、これは譲れないのは唯の思い込みです。
勿論、本当にあなたが心からやりたい事なのであれば、貫くのも選択です。
ここでちょっと確認してみてください。その貫くものは、外部を気にしたものではないですよね?他者を気にしたものではないですよね?
あなたの本当にやりたいことですか?
国のため、社会のため、業界のため、仲間のため、家族のため、外部のため…それが結果あたなの為だという言い訳はちょっと横においてみませんか?
まず第一に考えてあげなければならない事は、あなたの事です。
あなたが幸せになる選択をしているかです。
あなたを一番大切に出来る者はあなたしかいません。
あなたの中の、あなたの信頼を失わないで下さい。
あなたがあなたの幸せにするのは、唯一あるあなたの義務です。
その義務を果たしてください。
あなたがあなたを幸せにする選択が、結果として周りを幸せにします。その選択を続ける事が世界を幸せにします。
ここ本当に大事なところです。伝わりますかね?
わがままはいけません
自分勝手はいけません
みんなのことを考えなさい
自分だけ良いのはいけません
これは、この社会的常識を「親に」「学校に」「世間に」示され、受け入れてきたが故に、自分の事を第一に考える大切さを、何処か悪い事と思ったり、後ろめたさを感じる様になってしまいました。
だから敵が生まれます。
だから戦いが続きます。
わかりますか?
それは「いけません」「そうでなければならない」の思い込みが、裁きとなり戦いを生むんです。このあなたの「こうでなければならない」が根底のストレスであり苦しみです。
そのストレスがエネルギーを滞らせ、歪んだ思考を生み出します。
利他は良い事だ
利他に生きなければならない
それが私の幸せだ
素晴らしいです。
但し、利他があって結果として何か得られて幸せに成るのでは、見返りを得ようとする、不足の想念です。
人のために何かをしなければならないと、自分を責め苦しんでしまうのなら、次の考え方の採用してみませんかが今回の提案です。
あなたが幸せになる結果が利他になる。
あなたが心からそうなりたい。結果としてそれが価値を生み、エネルギーを生み、その循環が利他になる。
この世界の全ては関係性で存在しており、相関関係にあるからです。
他人のために自分が我慢し、犠牲になってでも何かして上げなければならない。それが世界の幸せになるなら自己犠牲もいとわない。その想念を辞めてみませんか?
全てが相関関係にあるのなら、自分の犠牲は誰かの犠牲に成りえるのです。
犠牲がある上での、幸せの世界を肯定してしまいます。
その関係性が広がっていきます。
あなたが世界を創り出しています。あなたが中心で世界を回してください。その幸せのエネルギーの循環が結果として世界を幸せにします。
但し、循環が大切です。これをあなたのところに滞らせることが一般的に言う利己主義です。
あなただけでは世界は存在できません。
あなたさえ、関係性で存在しているからです。
他人の為に生きる聖人にならなければならない。
そんな想念なら、ならなければならないを辞めましょう。
聖人とは聖人に成ろうとして成ったものでは無く、結果的に他からそう観えたものです。その人のあり方がそうなった結果です。
あなたが、あなたを幸せにする。
それが結果的に、自分の関係性が遠い他人さえも幸せにするのです。伝わりますか?
幸せなんて欲望であり煩悩に過ぎない。
そんな観方もあります。
それは幸せという言葉を抽象度低く捉えたステージの場合です。
こうなったら幸せという条件付の幸せのことになります。
幸せとは実は常にあるものです。
我々は常に幸せで満たされているのですが、それに気がつけません。それに気がついていく。それが幸せの定義です。
幸せに条件などないのです。
条件付の幸せでは無く、今こここの瞬間に幸せでいられる。
こうであるべきの差別の想念を手放す。
その時、結果的に全ての他人 世界の全てが愛おしく感じれるはずです。これが、無条件の愛です。
そうなると幸せでならなければならない
それさえどちらでも良くなります。
全ては関係性で存在しています。
その関係性をより良いものしていく事が、我々のやるべき事なのかもしれません。それさえどちらでも良いとも言えます。
今ここ、この瞬間を幸せにあなたが生きれるのなら
結果的に、全ての関係性は良くなり、広がっていくのですから。
あなたはどうしたいのですか?
先ずそこです。
あなたの本当のあり方です。
それが結果的に、
この状況を変えていきます。
この社会を変えていきます。
この世界を変えていきます。
おっと、恥ずかしげも無く、言いたいことを書いてしまいました。書いちゃったので投稿しちゃいます。
伝わる方に伝われば良いです。
最後までお読みいただきまして
ありがとうございます。