今日の一言 その262「正しい唯一の物差し等は存在し無い」
久々の投稿になります
本日は「正しい唯一の物差し等は存在し無い」
についてお話させて頂きます。
「
真理・・・いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。
哲学的には、カントの示した「アプリオリ」
アプリオリ・・・経験的認識に先立つ先天的、自明的な認識や概念。
簡単に言うと、
もとある絶対的なゆるぎない普遍的ななにかという概念
それ自体で正しいモノ。絶対的、完全な存在と言ったところですかね。
意外と「絶対的な真理」ってあると思いがちです。
その物差しで物事を図って、あーでもない、こーでもないと批判しがち。
その物差しを自分に当て嵌めて、自分に鎖を嵌めがち。
さてさて、実は現代に於いて、これって論理的に否定されてるのです。
カントは純粋理性批判で空間と時間はアプリオリな認識の原理であると説きました。
しかし、アインシュタイン以降、この時間と空間でさえ相対のものであり、絶対的な基準にはなり得なくなりました。
真理が数式によって導き出されるとされきた数学でさえ、ゲーデルの「不完全性定理」により、数学の完全性と無矛盾性が両立することは不可能であると、完全性は存在しないと示しました。
因みにゲーテルは、「自然数」についてのみ「完全性の不存在」を証明したのですが、その後、1987年に数学者でコンピューター科学者であるチャイティンが、数学全般に不完全性が働くことを証明してしまいました。
数学は「この世」全般を記述する最も純粋な記述言語であり、その数学が不完全であると証明されたということは、「この世」全般が不完全だと証明されたということです。
これって「神様」の存在否定の証明なんですよね。「全知全能」の完全性が無いって言ってるので。
実際、宗教哲学者のグリムが、不完全性定理を用いて「グリムの定理」を発表し、神の存在否定を証明したそうです。
そして、量子力学の基礎原理の一つとなるハイゼンベルクの「不確実性定理」
原子や電子などの世界では、一つの粒子について、位置と運動量、時間とエネルギーのように互いに関係ある物理量を同時に正確に決めることは不可能であること。同時に正確に決めることができない位置と運動量、時間とエネルギーのような物理量の組み合わせを不確定性関係。
簡単な実験では、ビーカーのお湯の温度を測ろうとしても、温度計をお湯に入れた時点で温度に変化を及ぼし、温度計が示した温度はそもそものお湯の温度では無くなっている。つまり計測は、計測結果に影響を与える為、正確に計れる温度計はこの世に存在しないって事です。
更に、量子論の「ひも理論」
<分子→原子→原子核+電子→陽子・中性子→素粒子→ひも>
物質の構成要素を最小限でみると「ひも」があり、ひもが振動している状態が「有」で、ひもが振動していない状態が「無」。しかも、定点でひもが振動しているかどうかは、確率的にしかわかりません。
つまり、物理的存在ですら「有る」ともいえるし、「無い」ともいえるのです。
結論!
「この世に完全性は存在しない」
「物理的存在もまた不確実な存在である」
それは、この世に正しいは無く、唯一の「正しい唯一の物差し」は存在しないって事です。
この様にするべき
この様にしなければ成らない
この様に生きるべき
この様に=真理=「正しい唯一の物差し」
「正しい唯一の物差し」とは差別の基準
「正しい唯一の物差し」が存在しないという事は、差別は存在してはならないって事になります
「正しい唯一の物差し」が存在しないって事は、自分を当て嵌める必要も無く、人を評価することも無意味って事です。
そうです。皆、「自由」なのです。
「この様に生きるべき」って意識する必要もなく、「この様にしなければならない」など外的なバイオパワーも意識する必要などないのです。
存在しない「真理」を探して生きる事は、終着点がありません。
それに苦悩する必要など無いのです。
誰もが自由に生きて良いのです。
心から望む、やりたい事を目指して、人生を邁進してまいりましょう!!
そう考えると、毎日が楽しくなりませんか?
」
最後までお読み頂きまして、ありがとうございます!