今日の一言 その246「縁」
おはようございます!!
本日もお越し頂きまして、ありがとうございます!
一言シリーズですが
浮かんだ言葉を、ちょこっと書いてみます
「
「なぜ、白ご飯が食べられるのでしょうか?」
それは、お米があるから、です。
どのようにして?
ある田んぼに、ある農家さんが居て、、、
種から苗を育てて、
田んぼを耕し、
苗を植えて、
田んぼに水を入れて、
田植えをして、
肥料を与えて、
草取りをして、
稲刈りをして、
脱穀をして、
玄米ができ、
誰かが精米して、
卸売業者の誰かが購入して、
運送業者の誰かが運び、
小売業者の誰かが購入して、
運送業者の誰かが運び、
お米がお店に並べられ、
誰かがお米を買って、
5キロとかの重いお米を家に持って帰って、
水で研ぎ
お米を炊いてもらえたから、
目の前に白ご飯があるわけです。
どれだけの人が、どれだけの時間と、どれだけのエネルギーを注いだうえで、ご飯が食べられるのか。
それを当然と感じる人もいれば、有り難いと感じる人もいる。
もし白ご飯だけでなく、お味噌汁も一緒に並んでいたとして、お味噌汁はどのように?もし、そこに唐揚げなどのおかずがあったら、それはどのように??
ご飯とお味噌汁と唐揚げという一食を食べられるのは、当然なのか。有り難いことなのか。
一見、当たり前の日常は、実は、奇跡的確率によって成り立っている。
それが、縁
全てに原因と結果の因果関係があったとしても、白ご飯1品だけでも、多くの人が、多くの時間とエネルギーを費やしている。
では、日常の生活全体を成り立たせるのに関わっている人の数は?
投資された時間とエネルギーは??
人知を超えています
全てに因果関係はある。原因のないところには結果は現れない。
種が撒かれていなければ、実は出来ようがない。
全てに原因と結果があったしても、その因果関係は、膨大な数の縁によって成り立っていて、理性で正確に把握することはできない。
決して、自分1人の努力だけで世界が成り立っているわけではない。
全ては縁によって起こっているというのは、全ては「有り難い」によって成り立っているということであり、奇跡的な確率に囲まれながら生きているということ。
日常生活の中にこそ、本当の奇跡がある
奇跡を奇跡と感じられ、有難いを有り難いと感じられ、感謝を感謝と感じられるようになったときにこそ、更なる奇跡が起きるようになります。
豊かさ「感覚」が、豊かさを引き寄せる
自分は豊かで、
満たされていて、
与えられるものがたくさんあると感じられるようになれば、
その想いが種となり、
行動という苗を植え、
豊かさという実を結ぶ。
感謝の多い人は必ず成功します。
それは日常生活の中に奇跡を見い出せる人だから。
つまり、真実をありのままに観ることが出来る人だから。
縁とは、人知を超えた奇跡的な確率によるつながり
」
今日も素晴らしい1日を!
楽しんでまいりましょう!
ではまた♪